Hole in the Bird / Dietrich Eichmann

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「Piano Quartet the Late 92」はピアノ四重奏曲であるが、もともとはヘビーメタル・バンドと2台のピアノのために書かれたらしい。ロック・バンドを現代音楽に使うという発想は、普通の作曲家にはないだろう。そのロック・バンドが何なのかは解説には書かれていないが、2人の素晴らしいミュージシャンがいたらしい。ところが往々にしてロック・バンドというものは早くに解散してしまうもので、この曲が完成する前にバンドは解散してしまったらしい。それから後になってOttomaniアンサンブルから4台のピアノのための曲を作って欲しいと頼まれたとき、この曲のことを思い出して材料として作ったらぴったりだった、とのことだ。

確かに4台のピアノはまるでロックバンドのように絡み合いながら演奏をする。ただし楽器が全部ピアノなので、音の区別がつきにくい。きちんとしたオーディオ・セットで聴くか、良いヘッドフォンを使って聴かないと、面白さは半減するかもしれない。クラスター的な音を多用し、荒々しい曲である。

訳せば「香港の朝、薄明かりの中で皮製ユリに出会った悪臭指の大量殺人者ジョー」といった感じになる2曲目は、クラリネットとバイオリン、ピアノ、そして解説の声による作品だ。声を発しているのはディートリッヒ・アイヒマン自身である。こちらはそれほど饒舌ではなく、あえて洗練されていない粗野な音をぶつける面白さがある。同じフレーズを繰り返し何度も使うところは、まさに偏執的な様相を呈している。打撃音なども加えられており、解説の声もあわせて演劇的な要素も感じられる。

「フルートとピアノのための熱く無題の曲」は楽器の演奏、というか音の面白さをじっくりと聴かせる曲である。またフルート奏者の声らしい音も入っており、何かを叩く音もある。またいったい何をどうやって音を出しているのか不思議な音も入っている。ピアノもユーモアがあり最初から最後まで飽きさせない曲だ。

このCDは2001年にWERGOから発売された。ドイツ盤である。(20070228/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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Music for Non-Prepared Piano / John Cage

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ジョン・ケージのピアノ曲といえば、やはりプリペアード・ピアノのための曲という印象が強いが、だからこそこのCDでは、あえてジョン・ケージのプリペアードではないピアノ曲が収められている。これらのピアノ曲を、あえて「Music for Non-Prepared Piano」というところが面白い。

ところで、まずは、ジョン・ケージのプリペアード・ピアノでない作品が面白いのかどうなのか、というところだが、まず1938年の作品である「メタモルフォーシス」や1935年の「探究」では、まさにプリペアード・ピアノへとつながるような着想の作品であり、ピアノ自体は普通のピアノであるが、幾何学的な音の使い方が進化の過程にあることが感じられる。1946年の作品「オフィーリア」も同様の傾向で、リズムを重視しながらピアノの音の面白さをふんだんに試行した作品になっている。

同じ1946年の作品でも「ピアノのための2つの小品」では、音がたいへん少ない。また1948年の「ある風景の中で」と「ドリーム」はまるで印象派のピアノ曲のように優しい。同じ1948年の「トイ・ピアノのための組曲」でも、おもちゃのピアノで演奏できるようにという制約のなかで、限られた音域の音だけを選んで作曲されている。

他にも1987年に作曲されたナンバーピースの最初の作品「One」や1985年の作品「ASLSP」など後期の作品も収められている。「メタモルフォーシス」や「オフィーリア」といったケージらしい派手な作品も楽しめるが、「ある風景の中で」と「ドリーム」のような清楚で美しい作品に出会えたのも嬉しい。ジョン・ケージの知られざる一面をみた気がする。

ピアノ演奏はジェイ・ゴットリーブ。このCDは2002年にogamから発売されたCDを日本の東京エムプラスという会社が輸入し、日本語の解説を少しつけて国内で発売したものだ。CDそのものはフランス盤である。(20070227/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Gruppen, Punkte / Karlheinz Stockhausen

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「グルッペン」は1955年から1957年にかけて作曲された曲で、3つのオーケストラのための作品だ。3つのオーケストラはほぼ同じ規模であり、左がオーケストラ1、中央がオーケストラ2、右がオーケストラ3というように配置され、全体の人数は109名というもの。楽器の中にはエレクトリック・ギターも含まれている。

一般的なメロディーを奏でる楽器はまるでなく、演奏というより発音、の集まりである。各楽器は勝手気ままに音を出しているように思えるが、カオス的なばらばらの部分と、一斉に一つの方向を向いて揃う瞬間、アンサンブル的に調和を持って互いに高めあう瞬間、など緻密に構成されている。その意味では、いわゆる交響曲としての要素をちゃんと持っている曲ということができる。

それにしても様々な音が出るものである。いくつかの音が重なり合って、さらに不思議な音を作り出しているのだが、いったいこれは何の楽器の音だろう、と考えてしまうような音があちこちにある。またCDではステレオの2チャンネルだけだが、実際に3つのオーケストラを前にして聴くことができれば、音空間のとても大きな広がりを味わうことができるのだろうと思う。視覚的にも面白いだろう。

「プンクテ」は「点」という意味である。1952年に作曲されたが、1962年に大幅な改訂が行われ、最終的に1994年に決定稿が出された作品だ。ここでは1994年の決定稿が演奏されている。「点」という意味のタイトルだが、単に「点」だけではなく、平面的な「層」が重なり合った立体感があり、その平面に点をぽつぽつと落とした、といったような音楽である。特に後半が面白い。

このCDはBMC、ブタペスト・ミュージック・センター・レコードから発売された。音楽とは関係ないが、ジャケットデザインが秀逸である。(20070224/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Ningyo Fudoki Suite, Suite for Children 組曲「人形風土記」、子供のための組曲 / Katsutoshi Nagasawa 長沢勝俊

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長沢勝俊は1923年に東京で生まれた。日本大学芸術学部で学び、人形劇団「プーク」に入団し、人形劇のための音楽を作曲しながら、清瀬保二に師事した。また1964年に結成された「日本音楽集団」のために多くの作品を書いた。このアルバムには、長沢勝俊が日本音楽集団のために書いた2つの曲が収められている。

組曲「人形風土記」は1966年に作曲された曲で、長沢勝俊の初期の代表作といえる作品だ。日本各地の郷土人形をテーマに作曲されており、構成する6つの曲はそれぞれ「ニポポ」「こけし」「のろま人形」「流しびな」「きじうま」「木うそ」と表題がついている。いずれもたいへん素朴な曲で、まさにその素朴さが特徴となり、時の中で育まれた伝統的な温かさを感じさせる。使われている邦楽器は曲によって異なるが、篠笛、尺八、琵琶、三絃、箏、太棹三絃、十七絃、そして打楽器だ。

「子供のための組曲」は、日本音楽集団の旗揚げ公演で初演され、長沢勝俊と日本音楽集団の代表的な曲となっている作品だ。冒頭の第1楽章「Vivace」のメロディーはダイナミックで印象的であり、一気に心を引き込まれる。第2楽章「Andante cantabile」は尺八だ。尺八というのは、恒久の時を思わせる音がする。第3楽章「Scherzando」は邦楽器の合奏で演奏される。リズミカルで明るく、ユーモラスな曲だ。第4楽章「Larghetto」は、ゆったりとした雰囲気で終章前の落ち着きをみせる。そして最後の第5楽章「Allegro vivace」は和太鼓で始まり、そして三絃が加わって次第に合奏が大きくなる。伝統的な日本民謡を意識させる曲だ。

録音は1970年、川口市民会館で行われた。もともとの録音ソースのクオリティが良くないことと、曲に音の疎な部分が多いことで、かなり磁気テープのヒスノイズが耳につく。イヤフォンで聴くときは少々気になる。しかしこのような録音をCD化する意欲的な企画に感謝したい。TOWER RECORSと株式会社BMGファンハウスによる「TOWER RECORDS RCA Presious Selection 1000」と題されたシリーズのNo.25で、1,050円という廉価で販売されたものだ。(20070223/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

An John Field. Nocturnes, Vier Neue Klavierstucke, Klavieralbum mit Sphinxen / Wilhelm Killmayer

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これは面白い。ユーモアにあふれた、大胆なピアノ曲である。なんとなく聞き流せば落ち着いた古典的なピアノ曲かな、と思わされるが、どこか奇妙である。そう思いながら聴き進めていくと、だんだんと尋常ではない雰囲気になってくる。しかしそれらは、完全にアバンギャルドといった混沌へ行ってしまうのではなく、偉大なるユーモアの精神、という状況で収まっている。

「ジョン・フィールドにおける夜奏曲」は5つの楽章で構成されており、そのうちの3番目は「Am Grat (On the ridge)」、4番目は「Ausflug aus dem Karzer (Escape from detention)」、そして5番目は「Im Schlupfoch (In the hole)」と名前がついている。どの曲も落ち着いた中に正気と狂気の紙一重、といったクールな緊張感を含んでいる。微妙な曲のねじれ方は、しっかりと集中して聴くと面白さがよくわかる。

「5つの新しいピアノ曲」は、まさに、ニュー・スタンダード、といった感じだ。現代的な難解さはなく、さりとて単なる綺麗なだけの曲ではない。しかし、あまり難しく考えなければ小粋なピアノ曲集、ととらえて聴くこともできるだろう。このCDの中ではリラックスして聴けるトラックだ。

「スフィンクスのピアノ曲集」は9つの曲で構成されている。「スフィンクス」は、頭は女性で翼のあるライオンの胴体を持ったギリシャ神話の怪物だ。通行人に謎を出し、答えられなかった者を殺したという。これを転じて「不可解な人、謎の人」という意味もあるようなので、「不可解な人のためのピアノ曲集」という意味にもなるのだろうか。比較的はっきりとメリハリをつけて羽目を外してくれるのでわかりやすい。ただ9つの曲で構成されているにもかかわらず、全部で16分58秒しかなく、曲が短いのが残念だ。

このCDによって、俺はヴィルヘルム・キルマイヤーの曲に初めて出会い、たちまち虜になってしまった。音楽との出会いは不思議な縁であり、他の何物にも代えがたい財産となる。演奏はSiegfried Mauser。ヴェルゴWERGOから2002年に発売されたドイツ盤だ。(20070222/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Lyric Symphony, Three Pieces from the "Lyric Suite", Five Orchestral Songs / Alexander Zemlinsky, Alban Berg

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このCDには、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの代表作とされるLyric Symphony in Seven Songs Op.18「抒情交響曲」、そしてこの曲から引用されたアルバン・ベルクのThree Pieces from the "Lyric Suite"「抒情組曲」、そして同じくベルクのFive Orchestral Songs after Texts from Postcards Op.4「アルテンベルク歌曲集Op.4」が収められている。

ベルクの「抒情組曲」を聴くと、ああ、この人はまさにシェーンベルクを継ぐ人であったのだ、と思う。官能的であり、ロマンに満ちている。だがしかし、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」との関連について考えるよりも、この曲はこの曲として味わうのが正しいと思う。

一方「アルテンベルク歌曲集」では、後期ロマン派の影響から脱し、新しい境地へとベルクが歩を進めようとしていることがわかる。ベルクの師といえるアーノルド・シェーンベルクからは良い評価をもらえなかったらしいが、もしかしたらベルクの進もうとしている世界がシェーンベルクにはわからなかったのかも知れない。

「抒情組曲」は、たいへんダイナミックな曲だ。特に第2楽章から第3楽章へかけての展開は息もつかせぬ迫力を持っている。しかし、一瞬で心をぐっと捕まえられるほどの印象的な部分はない。やはり誰にでも知られるポピュラーな曲になるためには、多少強引であっても、人の心を鷲掴みにするような個性が必要なのだろう。だが誰にでもすぐわかるような明確な魅力を持たない曲こそ、じっくりと聴き込むことでますます良さがわかってくるということもある。いくつかのWebサイトを見ると、このCDにおける演奏の評判は高いようなので、この曲とはこれからゆっくりとつきあうことにしよう。

演奏はSWFシンフォニー、指揮はミヒャエル・ギーレン。ARTE NOVAから発売されたEC盤だ。(20070221/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Works by Tokuhide Niimi 風を聴く / Tokuhide Niimi 新実徳英

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「風音」はクラリネットとバイオリン、チェロのための音楽である。ごくわずかに波長の異なる楽器の音が、うねりを持って一体となっている。どの音がクラリネットなのか、バイオリンなのか、そしてチェロなのか、区別がつきにくい。また、そのような区別を不要とする所に、この曲の面白さがある。メロディーは雅楽のようでもあり、日本を意識させる。そして風音は、ずっと高みへのぼりつめ、果てる。

「横竪」と題されたチェロ独奏の曲は、「横」と「竪」すなわち「ヨコ」と「タテ」を意味している。チェロの独奏を、ヨコとタテというメリハリのある2分化した構成と奏法で組み立てているようだ。それはすなわち高音と低音、早いパートと遅いパート、アルコとピッチカートといった具合である。

「風韻II」は3本の尺八による曲だ。ここでも音程のわずかにずれた尺八の音がうねりをみせ、空間的な広がりを感じさせる。複雑に重なったり離れたり、ほとんど一体となって形をなしたりする。それにしても尺八という楽器は本当に艶がある。

「青の鳥」は「おうのとり」と読む。2台の十二弦箏による作品だ。最初はかすかに小さな音で始まる箏の音が次第に大きくなり、箏に独特の大きなビブラートで踊るように奏でられるところが大胆である。一定のリズムで2つの箏がつかず離れずユニゾン的に弾かれるところにはミニマルミュージックの香りも感じられる。とても面白い。

最後の「風を聴く」は室内楽であるが、他の曲と異なり、やや大きな編成である。2本の篠笛、3本の尺八、3台の二十弦箏、1台の十七弦箏によって演奏されている。楽器の編成が大きいこともあって、より複雑な相互作用をみせてくれる。聴き込むほど味わい深さが増す作品だ。

このCDはライブ録音であり、「お聴き苦しい箇所がございますがご了承下さい」と断り書きがある。時折なにか物が動くような音がする箇所があるが、ほとんど気にならない。むしろ楽器の音にライブ感があって、生々しさが感じられる録音になっている。このCDはfontecから発売された日本盤だ。(20070220/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Berio Conducts Berio / Luciano Berio

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このCDの邦題は、収められた曲のタイトルをとって「シュマンIV」となっている。CDについている簡単な紹介文には「現代音楽ファンが待ち望んだ名盤の復活です。」と書かれているが、まさにそのとおりである。このCDには、ルチアーノ・ベリオの音楽がもつ様々な魅力が詰まっている。

「Points on the Curve to Find」は、短いパッセージの音で紡がれた曲である。全体的に音が薄いので素朴な印象を受けるが、ピアノ、3台のフルート、オーボエ、イングリッシュホルン、3台のクラリネット、アルトサキソフォン、2台のファゴット、2台のホルン、2台のトランペット、トロンボーン、チューバ、チェレスタ、ヴィオラ、2台のチェロ、コントラバスの合計23台の楽器による演奏である。それぞれの楽器が互いに影響を与えながら音を出しているようなところは、まるでジャズかブルースのインタープレイのようだ。

2曲目の、ベリオにとっては初期の作品である「Concertino」は、ロマン主義の香りもかすかに感じられる。現代音楽の作曲家としてベリオを見たとき、この曲は異質に思えるかもしれないが、ベリオの音楽に慣れていない人でも楽しめる曲だ。

「Chemins IV」は、ベリオのライフワークともいえる「セクエンツァ」と密接な関係のある「シュマン」シリーズの第4作である。「セクエンツァ」のシリーズは、基本的に1台の楽器によるソロ演奏曲だが、「シュマン」は「セクエンツァ」のいくつかの曲を合奏曲にしたものである。「シュマンIV」はオーボエによる「セクエンツァVII」を、オーボエと弦楽器のための協奏的作品に仕上げたものである。曲の冒頭はオーボエのソロで始まるが、次第に弦楽器が重なり合い、立体的に曲を構成するように展開する。

「Linea」は2台のピアノ、ヴィブラフォン、マリンバのために書かれた、ベリオにとって初のダンス音楽ということである。しかしダンス音楽といっても、もちろん尋常ではない。この曲でダンスを踊ろうと思っても、そう簡単ではないだろう。ベリオはこの作品について「リネアのテーマは、非常に単純な旋律と、もっと複雑な、分化した独立のアーティキュレーションズへと絶えず変形することである。4人の奏者は時として同じ旋律を”歌い”、時として分散をして別の音楽を奏する」と記している。

録音は1976年であり、比較的古い。ヘッドフォンで聴くと、テープのヒスノイズも明らかに聞こえるが、演奏は素晴らしい。このような音源をCD化したタワーレコードの企画に敬意を表したい。ジャケットの右下に小さくデザインされているのは、元のRCA盤のジャケット写真であろう。「TOWER RECORDS RCA Precious Selection 1000」というシリーズで、タワーレコードが企画し、株式会社BMGファンハウスが発売したものだ。日本盤のCDで定価が税込1,050円と廉価である。(20070217/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

The String Quartets / Luciano Berio

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イタリア語で「Notturno」というタイトルは英語で「Nighttime」、つまり「夜間」である。1993年の作品で、25分01秒のやや長い作品である。弱く、強く、痙攣するかのように小刻みに震える弦楽器の音は、神経質で耳障りだ。しかし、曲が展開するにつれ、それら神経質な弦楽器たちは、小さな羽虫が明りに集まるかのように、とりついたり離れたりしながら、ある一つの形を作っていく。見事だ。

ルチアーノ・ベリオの音楽は立体的である。この立体感は、ピラミッドのように階層的に構成されたものではなく、前後左右、そして上下から平面を寄せたような立体感である。いや、弦楽四重奏曲であるから、4方から正三角形を寄せた、正四面体を構成していると言うべきか。しかし、直感的には立方体のような形成感がある。

そのような立体的な印象を受けるのは、各楽器が平等に扱われているからであろう。どの楽器が伴奏で、どの楽器が主旋律、といった役割分担はない。すべての楽器がどの瞬間をとっても、伴奏であり主旋律である。切り刻まれ、各楽器に割り振られた主旋律であり伴奏である、と言ってもいいのだろうか。ある瞬間ではバラバラであり、また次の瞬間にはひとつにまとまる、といった変化が面白い。

「Sincronie」は英語で「Handshakings」、1963年から1964年にかけて作曲されたもので、18分26秒の作品である。弦楽器のか弱くこするような印象的な奏法で始まる。全体的に音数の少ない曲だ。しっかりと小さい音まで注意深く聴かなければならない。「Glosse」は英語で「Glosses」、「光沢」のことである。1997年の作品で、9分48秒の曲。こちらも音はたいへん疎であり、弦楽器の囁くような奏法が面白い。そして最後は「Quatuor n1」。1956年の作品で、このCDに収められた曲の中では、比較的ゆったりとしており、地味な印象であるが、弦楽器の様々な奏法が織り込まれている。

演奏はアルディッチ弦楽四重奏団で、BBC Radio 3/WDRから「アルディッチ・カルテット・エディション38」として2002年に発売されたフランス盤のCDだ。(20070216/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Quatuor 1905, Quatuor n2, Quatuor op.3 / Anton Webern, Arnold Schoenberg, Alban Berg

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このアルバムには、ヴェーベルンの「弦楽四重奏曲1905」とシェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」、およびベルクの「弦楽四重奏曲Op.3」の3曲が収められている。これらの曲を聴きながら、ヴェーベルンとシェーンベルク、ベルクの違いは何だろうか、などと考えていた。しかし、しばらく聴いてから思ったことは、そうではなくて、これらの曲が作曲された時代の空気というものこそ、じっくりと味わうべきなのではないか、ということである。

ヴェーベルンとベルクはともにシェーンベルクに学んだ作曲家である。演奏のマンフレッド弦楽四重奏団によると、彼ら弦楽四重奏団が最初にシェーンベルクの弦楽四重奏曲第1番を演奏したのは1989年であり、それ以来、シェーンベルクの「浄められた夜」などを演奏しながら、20世紀前半のこれら3人の作曲家について、より深く学びたいと思ったのだ、と書かれている。そしてこれら3曲を選曲したという。

最初に聴いたときにすぐ気付いたことだが、ヴェーベルンの「弦楽四重奏曲1905」にはシェーンベルクの「浄められた夜」の旋律がたくさんあらわれる。むしろ編曲である、と言ってもいいくらいである。しかしそれは単に真似をしているというのではなく、ヴェーベルンの作品としての個性があらわれた、躍動的で若々しさを感じる作品となっている。

シェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」は1907年から1908年に作曲された。そしてベルクの「弦楽四重奏曲Op.3」は1909年から1910年に作曲された。これらの作品はいずれもロマン主義から無調、そして12音音楽への移りゆく過渡期のきらめくような作品たちである。

録音は2004年の6月14日から18日の間に行われた。演奏はマンフレッド弦楽四重奏団。シェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」におけるソプラノはMarieke Kosterである。(20070215/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Rhapsody in Blue, An American in Paris / George Gershwin

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ガーシュウィンはアメリカを代表とする作曲家であり、もともとポピュラー音楽の作曲で有名でもあったことから関心はあったのだが、以前、知人にガーシュウィンを聴かせてもらったときは、特段の感動はなかった。だが、このアルバムでガーシュウィンの音楽を再び聴くことになり、その面白さがわかった気がする。

「ラプソディ・イン・ブルー」はガーシュウィンの作品の中でも有名なものだが、曲の冒頭で低音から高音へと伸びやかに立ち上がるクラリネットの音に、思わず小躍りしたくなる。このクラリネットを代表として、この曲では各楽器のソリストとしての面白さが浮き出ているように思う。

「キューバ序曲」は賑やかな曲である。ガーシュウィンが1932年にキューバを訪れたときの印象を曲にしたとのことで、最初は単に「ルンバ」というタイトルだったそうだ。1932年といえば、キューバが政治的には不安定な状況ではあるが、アメリカとの一定の関係にあった時代である。スペインとアフリカの音楽が融合した、まさにラテン的なキューバ音楽の楽しさが表現されている。

「キャットフィッシュ・ロウ」はガーシュウィンの不屈の名作オペラ「ポーギーとベス」の聴きどころをまとめて組曲にしたものである。第1曲の「キャットフィッシュ・ロウ」では、たいへん印象的なテーマのフレーズがある。なんというか、ある意味では間の抜けたというか、ユーモアがあるのだが、たいへん強引なフレーズである。一度聴いたら忘れられない。第2曲の「ポーギー・シングス」はバンジョーによる伴奏が印象的だ。優雅な第3曲「フーガ」をはさみ、第4曲「ハリケーン」では小刻みで早いパッセージのフレーズで半音階をならべた嵐が表現されている。わかりやすく直接的な表現手法である。最後の第5曲「グッド・モーニング」は教会の鐘の音を想起させる音で始まり、まさに終曲にふさわしい感動的な結末で締めくくられる。

ガーシュウィンは1928年にパリを訪れた、その帰国後にパリの印象を曲にしたものが「パリのアメリカ人」であり、初演は1928年12月に行われた。この曲もパリの優雅さを表現しつつ、アメリカ人気質的なわかりやすい派手で素朴なフレーズが散りばめられている。まさにポップスとクラシックの融合というべき音楽だ。

録音は1990年7月、シカゴで行われた。演奏はシカゴ交響楽団、指揮とピアノはジェイムズ・レヴァイン。ポリドールKKから発売された日本盤のCDだ。(20070214/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Symphony No.3 悲歌のシンフォニー / Henryk Gorecki

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欧米で30万枚を超える大ヒットとなったグレツキの代表作が、この「悲歌のシンフォニー」は単なる癒しの音楽ではない。届かなかった神への祈りに対する悲嘆と哀悼の歌である。

不安を象徴する地の底でうごめくような低音から第1楽章「レント~ソステヌート・トランキッロ・マ・カンタービレ」は始まる。そして少しずつ、まるで水面にさざ波が立つかのように旋律がわきあがってくる。次第に希望が形をあらわすかのように旋律の輪郭が明らかになり、力強く、そして優しくひとつになり、ユニゾンで奏でられる。

長い前奏の後に「聖十字架修道院の哀歌」として知られる「ウィソグラの歌」より15世紀ポーランドの祈りの言葉が歌われる。「私の愛しい、選ばれた息子よ、自分の傷を母と分かち合いたまえ・・・」息子を思う母の心に、優しい気持ちになれるのは束の間である。一転して不安を呼び起こす瞬間が訪れ、叫ぶように悲しみを振り絞る歌となる。そして再び旋律は散り散りになり、地の底へと沈み込んでいく。この第1楽章は本当に見事である。演奏時間も26分23秒と全体のほぼ半分を占めており、まさにこの曲の中心となる楽章である。

第2楽章「レント・エ・ラルゴ~トランキリッシモ」はこのシンフォニーの中でも最も有名になった楽章である。第1楽章の重々しさから、一転して明るいテーマが奏でられるが、それは束の間。「お母さま、どうか泣かないでください・・・」と始まる歌は、第2次世界大戦にナチス・ドイツに囚われた女性が独房の壁に書いたと言われる祈りの言葉である。悲痛な歌は曲の中間部で再び明るいテーマに彩られて一転するが、悟ったかのような神聖な印象の奥には、不安と恐怖が渦巻いている。

この第2楽章がイギリスのあるラジオ番組のテーマ曲としてとりあげられたことが、グレツキの再評価につながったらしいが、それは、ある意味で勘違いの結果である。この第2楽章は、囚われの身となり死を覚悟した女性がもつ不安と恐怖、神への祈り、そして母親への心遣いという様々な思いを一つの楽章へ集成したものであり、癒しを感じさせるのは、その単なる一面でしかない。

第3楽章「レント・カンタービレ・センプリーチェ」では、カトヴィーツェの北西にあるオポーレ地方の民謡が使われる。息子を亡くした母親の嘆きである。ミニマル的に短く繰り返されるフレーズには、母親の無念の思いが込められている。

録音は1991年5月、ロンドン、CTSスタジオで、ソプラノはドーン・アップショウ、ディヴィッド・ジンマン指揮、ロンドン・シンフォニエッタの演奏で行われた。このCDはワーナー・ミュージック・ジャパンから発売された日本盤だ。(20070210/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Complete Piano Works / Claude Achille Debussy

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ドビュッシーはピアノ曲の大家という印象があるが、意外にもピアノ曲全集が4枚のCDに収まってしまうのだ。ピアノはジャック・ルヴィエ。録音は1982年から1987年とやや古い音源だが、このように手軽な価格でCDが手に入るというのは、たいへん嬉しいことだ。レコードの時代には考えられなかった。

さらに嬉しいのは、28ページにわたる解説の冊子が付いていることだ。もちろん日本語である。大宅緒氏による「ドビュッシーのピアノ作品」という文と、ディスク1から4のほとんど全曲についての詳細な解説である。これはたいへんありがたい。解説を読みながら聴いていると、ドビュッシーの世界をより深く味わうことができる。

そういえば、ドビュッシーを最初に聴いたのは、冨田勲のシンセサイザーによってであった。この記憶は今でも鮮明で、ピアノによるこれらの演奏を聴いても、「亜麻色の髪の乙女」や「沈める寺」、「雪が踊っている」、「ゴリウォーグのケークウォーク」などを聴くと、頭の中にシンセサイザーの音がよみがえってくる。

ところで、ドビュッシーにつけられた「印象派」という言葉は、若手の作曲家に対する揶揄を込めた言葉であったそうである。音楽に限らず、芸術の流れの中に新しい潮流が芽生えるとき、それを理解できない人たちは、揶揄したり蔑んだり、またときには激しい言葉で攻撃したりする。だが良いものは必ず歴史の中で評価されるのだ。

このCDはコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社から2005年に発売された。「DENON名盤アーティストBOX」と題されたシリーズのひとつで、日本盤の4枚組CDボックスセットである。(20070209/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Symphonies / Dmitry Shostakovich

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「現代音楽」の定義は何だろうか。20世紀以降のクラシック音楽は、時代的に見て大まかに近代音楽と現代音楽に分けられるが、近代音楽と現代音楽の境界をどこに設けるか、統一的な見解はないといわれる。一般的には第二次世界大戦をもって近代音楽との境界とし、戦後を現代音楽として取り扱うことが多いようであるが、その観点からすると、このショスタコーヴィッチは近代と現代にまたがる作曲家といえるだろう。

学生時代からロックやジャズといった音楽を聴きまくっていた俺だが、俺の父親もクラシック音楽を少々たしなんでいた。ベートーベンの交響曲などのレコードが家に何枚かあり、その中にショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」もあった。学生時代の俺はとにかくどんな音楽でも聴いてやろうという姿勢だったので、これらの身近にあったクラシックのレコードもよく聴いた。ベートーベンは良かったが、ショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」はすとんと心に収まらず、なんとなくもやもやと気がかりなままであった。もちろん当時はクラシック音楽についての知識など無いに等しかったので、この曲が偉大な作品であることすら知らなかった。音楽的教養が少なかったために消化不良だったのだろうと、今になっては、思う。しかし、なんとなく、心にひっかかってはいた。

その「交響曲第5番」を再び聴く気になったのは、書籍「ショスタコーヴィッチの証言」を読んだからである。この書籍については、どの程度ショスタコーヴィチの心情を正直に書き記しているのか、といった点で賛否両論あるようだが、少なくともショスタコーヴィッチという作曲家について、世論の注意をあらためて喚起したことだけは間違いない。

このボックスセットには、ショスタコーヴィッチの交響曲が1番から15番まで、11枚のCDに収められている。しかも値段も手ごろで、ショスタコーヴィッチの全貌を味わうにはうってつけのCDである。それにしても、これだけの作品をすべて聴き通すには、それなりに覚悟がいる。

これだけの交響曲をまとめて聴き、その上で改めて思うことは、やはり「交響曲第5番」は素晴らしい、ということだ。ロマンにあふれ、ダイナミックであり、忘れられないきらめくようなフレーズが随所に散りばめられている。熱い。聴く側にエネルギーが足りないときは、音楽に押しつぶされそうになるほどである。仕事をしながらBGMでかけようものなら、途中から音楽に引き込まれてしまい、仕事どころではなくなってしまう。

「交響曲第5番」は有名であるので、いろいろな演奏が録音されCDになっており、聴き比べることができる。いろんな評論を見聞きすると、他の演奏も聴いてみたくなるときもあるのだが、演奏の良し悪しを云々するのは好きではないので、このCDとの出会いを大切にして、いつまでも愛聴するつもりである。

演奏はWDR Sinfonieorchestre、指揮はルドルフ・バルシャイ。Brilliant Classicsから発売されたものだ。ロックやジャズから現代音楽へと俺を誘ってくれた大切なCDだ。(20070208/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Thirteen / John Cage

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ジョン・ケージは1912年にロサンゼルスで生まれた。父親は発明家で「だれかが『できない』と言ったなら、それはお前に何をすべきかを教えてくれているのだ」と言ったらしい。若いころは音楽家になろうと考えたことはなく、父の祖父はバイオリンを「悪魔の道具」と見なすような人だったという。そのような家族環境という点においても、ジョン・ケージは特異な作曲家であるといえる。

この「Thirteen」は、ジョン・ケージ晩年の作品である。ジョン・ケージは1992年に没するが、1987年頃から「One」「Two」など数字をつけた曲を作曲し始める。そしてこの「Thirteen」は、亡くなる1992年に作曲された作品である。ジョン・ケージがいかなる音楽の極みに到達したのか、という点でも極めて興味深い作品である。

さて、この「Thirteen」だが、話題にことかかないジョン・ケージの作品としては、意外に落ち着いた作品である。全体に起伏に乏しく、平坦な印象である。使われているのはフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、トランペット、トロンボーン、チューバ、2台のパーカッション、2台のバイオリン、ヴィオラ、チェロ、といった13の楽器であるが、気持ちいいほど、演奏がバラバラである。全く統一感がない。各楽器はそれぞれに好き勝手な音をきまぐれに出している。そして一体、指揮者は何をしているのだろう。13の演奏者に、何らかの指示を出しているとはとうてい思えない。

ある意味において、この曲は、ジョン・ケージの発明のひとつなのかもしれない。全く統制がとれていないように思われる楽器の演奏。その統制がとれていない、という一点で統制されており、バラバラである、ということが、ひとつの全体を形作っている。そんなふうに考えながらも、もしかしたら全く意味づけなどないのかもしれない、という疑念も湧いてくる。

晩年のジョン・ケージは笑顔を絶やさなかったそうだ。この「ケージ・スマイル」を、一柳彗は「啓示微笑」と訳したそうだ。このCDのジャケット裏には、満面の笑みをたたえたジョン・ケージの顔がある。音楽を愛し、音楽に挑み、音楽の喜びを味わい尽くした顔である。もしかしたらこの曲も、ジョン・ケージの悪戯のひとつであり、あの世で舌を出しているかも知れない。そんなことを思いながら、この曲を聴くのは、それは、また、味わい深いものだ。

俺は、ジョン・ケージが大好きだ。(20070207/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Kontakte / Karlheinz Stockhausen

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「WERGO」(ヴェルゴ)は1962年に設立されたドイツのレーベル。現代音楽を中心にCDをリリースしているようである。新録音だけでなく、ここに紹介するような古い録音のCD化も行っているようである。これはたいへん嬉しいことである。

さて、カールハインツ・シュトックハウゼンは電子音楽で有名だが、この「コンタクテ」はシュトックハウゼンの比較的初期の作品であり、1959年と1960年に作曲されたとある。CDのクレジットには1964年という年が書かれており、これがおそらくレコード化された年なのであろう。俺は学生時代、この曲をレコードで聴いたことがある。今でもしまい込んだレコードを探せば出てくるはずだ。そのレコードには「コンタクテ」と「ルフラン」が収められていたと思う。

思い込みというものは怖いもので、俺の記憶ではこの「コンタクテ」は完全な電子音楽だと思い込んでいた。しかし実際は「電子音とピアノ、打楽器のためのコンタクテ」である。また逆に、意外に記憶というものは確かなところもあるというのは、学生時代に聴いたというものの、何度も聴いて味わう、といった音楽ではないので、正直いって何度か聴いた後はレコード棚にしまい込まれたまま、という状態で、真面目に聴いてはいなかった。しかし、このCDによって何十年かぶりにこの曲を聴いたのだが、曲の細部に「ああ、確かにこうだった」と思うフレーズが少なからずあったのだ。

つまり、やはりこれは、強烈に印象に残る音楽であることは間違いない。もちろん、このような電子音楽を音楽と認めない人もいるだろう。録音は当時のままであるようだ。CDをかけると、あきらかに磁気テープのヒスノイズであろう音がはっきりと混じっている。しかし、いま聴いても十分に刺激的である。レゾナンスを効かせた電子音がぎゅわーんとねじれる様に鳴るところは、脳をゆすられるほどの驚きがある。

このCDは1992年にWergo Music Mediaから発売された。ドイツ盤だ。しかし、デザインをした人にはいささか申し訳ないが、ジャケットのデザインだけは、いただけない。(20070206/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Visse Vejrdage, Seven Postludes / Sven Erik Werner

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楽器の構成がおもしろい。Anne-Lise Gabold(recitation)は朗読。そしてJeanette Balland(saxophones)、Frans Hansen(percussion)、Jens E. Christensen(organ)の4人による演奏。朗読は曲とは異なるので、実質はオルガンとパーカッション、サキソフォンの3つによる曲である。

Visse VejrdageはVilly Sorensenの詩をGaye Kynochが翻訳したものとある。第1楽章はオルガンとパーカッション、サキソフォンによる3重奏で始まり、第2楽章は詩の朗読、第3楽章はサキソフォンとパーカッションの2重奏、そして第4楽章はふたたび詩の朗読、といった具合に、楽曲と詩の朗読が交互に繰り返される形をとっている。

朗読のパートは全部で5つあるのだが、ドイツ語であるので内容はわからない。しかしドイツ語と英語のテキストがCDについている。そこで楽曲のところを中心に聴くのだが、アラビア風のメロディーが使われるなど、その雰囲気は独特である。

Seven Postludesはオルガン独奏の曲であり、全部で7つの楽章に分かれている。どの楽章も短く作ってあり、トータルで15分35秒という曲であるが、現代音楽でオルガン曲は聴いたことがなかったので、新鮮であった。オルガンの音はどう弾かれても神々しく思えるものだが、やはりここでは大胆に現代風の奏法を聴くことができる。

録音は2003年10月にコペンハーゲンのOur Saviour's Churchで行われた。このCDは2004年にKontrapunktから発売されたデンマーク盤だ。(20070203/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Complete Music for Prepared Piano / John Cage

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CD1にはジョン・ケージが1940年から1945年までに作曲したプリペアード・ピアノのための音楽が収められている。ジョン・ケージのプリペアード・ピアノのための代表作とされる「プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュード」が作られたのが1946年から1948年にかけてであるので、それ以前のプリペアードピアノのための作品である。

これら1945年以前の作品は、リズム楽器としてのプリペアード・ピアノの特徴を、大胆に表現している。その意味では、「ソナタとインターリュード」よりもわかりやすく、素直に楽しめる作品であるといえる。あるいは、1945年までの数々の試行の上に、表現を整理し、洗練されたものが「ソナタとインターリュード」にまとめられた、と言うこともできる。

CD3には主として「ソナタとインターリュード」以降の作品が収められている。こちらの印象を端的に述べると、リズム面よりも音の響きに重点が置かれているということになろう。これらの曲のほとんどは、1曲だけで標題がつけられたものか、あるいは組曲形式であっても2~3曲で構成されている。その意味では「ソナタとインターリュード」は、やはりジョン・ケージのプリペアード作品として代表されるものかも知れない。

「ソナタとインターリュード」はCD2に収められている。このCD2に収められているもうひとつの曲「プリペアード・ピアノとパーカッションのためのアモーレス」はたいへん面白い。そもそも、プリペアード・ピアノのねらいは、ピアノをパーカッション的に使うというものなので、あえてパーカッションとともに演奏することの意味はなんだろうか、と思いながら聴いた。

第1楽章はプリペアード・ピアノだけの演奏で行われているように思える。そして第2楽章は、パーカッションだけの演奏に思える。そして第3楽章では、再びパーカッションによる演奏が行われるが、どうも怪しい。プリペアード・ピアノの音がこっそりと加わっているように思える。そして第4楽章はプリペアード・ピアノによる演奏だが、ここには確かにパーカッションの音が加わっているようである。よく聴き分けなければわからない。「樹を森に隠す」という言葉が浮かんだ。やられた、という感じだ。

印象に残るもうひとつの作品は、CD3に収められている「二つのパストラーレス」である。こちらも聴き手の意表をつく、ジョン・ケージらしい作品だ。

アルバムジャケット内側には、いかにも好々爺然と笑みをたたえたジョン・ケージの写真がある。この笑顔、そして綺麗で丁寧な装丁。ジョン・ケージファンは必ず持っておくべきアルバムだ。3枚組のCDで、Brilliant Classicsから発売された。(20070202/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Butterflies and Birds of Paradise, Etudes and Polkas, Borova / Bohuslav Martinu

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このアルバムを手に入れるまでは、ボフスラフ・マルチヌーの名前を知らなかった。たまたまCD店で見かけたこのCDを、何故か気になって買ったことで、初めてボフスラフ・マルチヌーの世界に出会ったのだ。一度聴いてすぐに気に入った。

ボフスラフ・マルチヌーは1890年12月8日、当時のボヘミア、現チェコ共和国のポリチカという町で生まれた。幼少期はプラハ音楽院で学び、1923年からパリへ移り、パリではフランス六人組やストラヴィンスキーなどの影響を受けたという。1941年にナチスから逃れるためアメリカに移り、数多くの作曲活動が開花する。そして1953年にはヨーロッパに戻り、1958年に胃癌で亡くなるまでヨーロッパで過ごしたとのことだ。

このCDには「Etudes and Polkas」、「Butterflies and Birds of Paradise」そして「Borova」が収められている。きらびやかに変化する曲は、あるときはドビュッシーのような印象派的な香りがし、またあるときはエリック・サティのようなユーモアを感じ、またモーツアルトやシューベルトのような古典的な印象を受けたり、ある瞬間では非常に技巧的であったりドラマチックであったりする。作者も、この変化を楽しみながら作曲したのではないだろうか。

ボフスラフ・マルチヌーは近代の作曲家としては多作家の部類に入り、6つの交響曲、30曲近くの協奏曲、11作のオペラなどを作曲した。NAXOSにも多くの作品がCD化されているので、入手しやすいものから順番に聴いてみようと思う。

このCDは2004年にTudor Recording AGから発売されたものだ。Tudor Recording AGはスイスのチューリッヒにあるレーベルのようで、このCDはMade in EUとなっている。(20070201/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

プロフィール

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Author:yoc
1998年から「カルト・ミュージック・コレクション」というWebサイトを始めた。これを2006年12月からblogの形で再開することにした。音楽を心から愛する者のために、俺は書く!

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