Greatest Hits Live in Concert / Ian Gillan

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はじめてこのCDを手にしたとき、実はあまり期待できないと思った。スリーブはいかにもファン向けといった安易なデザインであり、しかも紙一枚だけで詳細が全くわからない。だいたい「グレーテスト・ヒッツ」というタイトルが怪しい。ところが聴いてみると、これはたいへん良いライブ録音の記録だった。

録音の質は、オフィシャルアルバムにできるほどではないが、かなり良いできである。ミキシング卓のライン撮りではないが、ポータブルレコーダーでこっそりと録音したものではなく、おそらくちゃんとマイクを立てて撮ったものと思われる。会場のサイズはかなり大きめで、ホールの残響などが自然な感じで入っている。

「スモーク・オン・ザ・ウォーター」、「チャイルド・イン・タイム」、「ウマン・フロム・トーキョー」というディープ・パープル時代の名曲から始まり、「クリアー・エアー・タービュランス」、「フューチャー・ショック」、「マネー・レンダー」、「アンチェイン・ユア・ブレイン」、「テイク・ア・ホールド・オブ・ユアセルフ」、「ツイン・エクゾーステッド」、「ローラー」、「オン・ザ・ロックス」、「スリーピング・オン・ザ・ジョブ」、「ルーシール」、そして「パープル・スカイ」と全部で14曲、67分のライブが楽しめる。

演奏はたいへん安定したもので、まさに王者の風格を感じさせる。逆に遊びの部分が少なく、手慣れたクールな演奏という感じがする。この録音に関しては、ただ「Recorded live at the Reading Rock Festival(BBC in concert) in 1979 & 1980」とだけ書かれている。両年のレディング・フェスティバルから良いものを集めたものだろうか。しかしいくつかのトラックは、どうやらライブ録音ではないものも混じっており、やや怪しいところもある。

ジャケットのイアン・ギランはとてもかっこいい。Autarc Media GmbHのライセンス下で、EURO TRENDから発売されたものだ。(20070404/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Live Yubin Chokin Hall, Hiroshima 1977 / Ian Gillan Band

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「Ray Fenwick Archive Recordings」というものらしい。イアン・ギラン・バンドの1977年の日本公演における、広島郵便貯金ホールでのライブ録音だ。メンバーは第一期。ギターがレイ・フェンウィック、ベースがジョン・ガスタフスン、ドラムがマーク・ナウシーフ、キーボードがコリン・タウンズ、そしてボーカルがイアン・ギランという、俺の大好きなラインナップの演奏だ。

しかし残念ながら録音は良くない。おそらくカセットレコーダーで録音したものだろう。アナログの磁気テープが伸びた、典型的な音のこもり、うねりが冒頭の「マネー・レンダー」で耳につく。ディジタル時代の人間には、もう、この磁気テープのこもる音は理解できないのかもしれない。一般にこのような音の劣化は、テープの末端でよくおこる。この録音でも冒頭の音のこもりは次第に変なうねり感となり、曲の中間部分を超えたところでようやく収まってくる。また次の「ツイン・エクゾーステッド」ではかなり改善されているが、3曲目の「チャイルド・イン・タイム」になると、テープを裏返して端に戻ったためか、またもや激しく劣化した音になる。

4曲目の「ファット・ユア・ゲーム」以降、名曲「マイ・ベイビー・ラブズ・ミー」、そして「トライング・トゥ。ゲット・トゥ・ユー」、「マーキュリー・ハイ」、「ロック・ロール・メドレー」をはさんで最後は「ウーマン・フロム・トーキョー」まで、比較的音の状態は良い。しかしあくまでもコンパクト・カセットで録音したような音だ、という範囲の状態である。その意味では、このCDはまるで海賊盤のようなのだ。そして音の状態が悪いというだけでなく、イアン・ギランのボーカルも、あまり良いとはいえない。コンディションがあまり良くなかったのだろうか。

とはいえ、このアルバムが聴くに耐えないものかといえば、そんなことはない。このライブアルバムで感じるのは、バンドが成熟し、心地よい一体感を持っていることだ。レイ・フェンウィックのギターは、ハードロックとしては異色のものだといえるが、たいへん心地よくドライブしている。マーク・ナウシーフとジョン・ガスタフスンによる曲の根底を支えるリズムもスリリングだ。

もちろんこのアルバムは、イアン・ギラン・バンドを代表するアルバムではない。あくまでも熱烈なファンのためのディスクである。16ページにわたる、来日時のリラックスしたバンドのメンバーの写真などを載せたブックレットも、嬉しい。このCDは2001年にAngel Air Recordsから発売された、オーストリア盤だ。(20070403/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Live in Japan Twenty First Anniversary Collectors 3CD Set / Deep Purple

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1972年の8月15日、または16日、17日。この日にディープ・パープルのコンサートを体験した者は大きなインパクトを受けたはずであり、人生が変わった者も少なからずいたに違いない。そして今ここに、当時の録音のありのままを聴くことができることも、大きな驚きと感激だ。

3日間の日本公演から選りすぐられてオフィシャルのライブアルバムに収録されたのものは、耳に焼きつくほど聴き込んだ。そしてこのCDによって採用されなかった録音も聴くことができ、このディープ・パープルという魔物の姿を、より深く理解することができたように思う。

これらのライブ録音を聴いて思うことはいろいろとあるが、まず驚いたことは、それぞれの演奏におけるアレンジが、かなり異なっているということだ。完成したバンドが繰り返し演奏してきたはずの曲を、たった3日の連続した公演で演奏する中で、これほどアレンジが異なっているとは思わなかった。もちろんソロ・プレイも違っている。手なれた演奏を同じように3回やったのではないか、と思い込んでいたが、これほど違いがあると、3回の公演をすべて見たとしても、それぞれに異なる味があって満足できたに違いない。

ファンであるための贔屓目というのがあるので、そもそも冷静な判断などできはしないが、どの演奏もそれぞれに素晴らしく、甲乙つけがたい。特に17日の東京公演で行われたハイウェイ・スターは、多少ラフなプレイではあるが、オフィシャルアルバムに収録されたものよりも迫力を感じる。観客の「うおー」という声が聞こえるところも、会場の臨場感が伝わり感動的だ。

CDには表紙を含めて24ページのブックレットが入っており、いろいろと当時のことがわかる。ステージの写真、東京公演のチケット、LPのジャケット、日本で発売されたシングルレコードの写真、ポスターなど。

このCDは俺の宝物だ。リュックひとつで無人島に行けと言われたら、必ずこれを持っていく。ジャケットにはおかしな日本語が書かれているが、1993年に発売された英盤だ。(20070402/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Live in Japan / Deep Purple

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今日ここで紹介するのは、泣く子もだまるディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」である。俺は今でもこのアルバムを聴くと血沸き肉踊る。自分の中でやる気が失せていると感じるとき、この「ライブ・イン・ジャパン」かキッスの「アライブ!」のどちらかを聴くことにしている。すると必ず偉大なる力が体の隅々からみなぎってくる。

学生時代には単純にこのアルバムを「かっこいい」と思っていたが、他の音楽をいろいろと聴いた今になって思うことは、やはり、このアルバムは「すごい」ということだ。まずグループの一体感がすごい。各メンバーの力量があるのはもちろんだが、それ以上にグループとしてのアンサンブル、そしてインタープレイ。ロック・バンドという演奏形の魅力がはっきりと表れたものだ。また録音がいい。各楽器の音もクリアだし、ミキシング状態も最高だ。その理由の一つは、この録音は、1972年8月15日から17日の3日間に行われた来日公演から、選りすぐられたものだからである。

そしてイアン・ギランがすごい。名曲「チャイルド・イン・タイム」や「スペース・トラッキン」を聴いてみろ。イアン・ギラン以前に、このような叫び声で歌を歌った歌手がいただろうか。これはロック・ボーカル史上における革命といっていい。

このアルバムは、もともと1972年にアナログレコードで発売された。このCDはワーナー・ミュージック・ジャパンから「フォーエバー・ヤング・シリーズ」の一枚として発売された日本盤だ。(20070315/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

The tapes Volume 3 / Gillan

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CD1にはオフィシャルアルバムからのトラックと、ライブ録音がとりまぜて編集されている。オフィシャルアルバムからのものとしては、アルバム「グローリー・ロード」から「Running White Face City Boy」、アルバム「ダブル・トラブル」から「Sunbeam」と「I'll Rip Your Spine Out」、アルバム「マジック」から「Long Gone」、日本盤のアルバム「ミスター・ユニバース」から「Your Sisters On My List」だ。

そしてエルビス・プレスリーが歌ったことで有名なスタンダード曲「Trouble」、シングル「Long Gone」のB面曲「Fiji(no 17)」、アルバム「フューチャー・ショック」に収録されたものにイントロとライブテイクを加えた「Ballad of the Lucitania Express - The Trilogy」、ライブのオープニングSEのような「So Low」と「The Festivals of Spirit」というインストゥルメンタル曲。この2曲は、ライブの始まりのような雰囲気だ。イアン・ギランの鬼気迫る叫び声がミックスされている。

ライブ録音は「If You Believe Me」、「Born To Kill」、「Unchain Your Brain」、「No Laughing in Heaven」、シングルとして発表された「M.A.D.」という曲、そしてスタジオ・ライブ・バージョンの「Smoke on the Water」がある。この「Smoke on the water」でギターを弾いているのはバーニー・トーメだが、ラフなプレイが良い味を出している。そして何よりも、メンバー全員が演奏を楽しんでいる様子が伝わってくる。熱い演奏だ。

また一風変わったトラックとして、Split Knee Loonsというバンドの「La Donna Mobileという曲がある。これは「Excerpt From the Confidente Opera」となっていて、オペラ調の曲である。

ライブはどの演奏も、いい。ギターはバーニー・トーメのトラックとヤニック・ガーズのトラックの両方があるが、どちらもバンドとしてのまとまりがとてもいい。そしてイアン・ギランは絶好調である。特にバーニー・トーメの粘りつくギタープレイは、「If You Believe Me」のライブで存分に味わうことができる。また「Unchain Your Brain」のスピード感、そして「No Laughing in Heaven」でのイアン・ギランは思う存分叫びまくっている。

そしてもう一枚、CD2は「For Gillan Fans Only」だ。ドラマ仕立てのコミカルなイアン・ギランの声で解説を加えながら未発表曲などを聴くことができる。

このようなコンピレーションアルバムは、ある意味ファン泣かせといった面があるのだが、2枚組のCDでこれだけの未発表曲やライブが入っているならば申し分ないだろう。2000年にAngel Air Recordsから発売されたものだ。(20070314/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Cherkazoo and Other Stories... / Ian Gillan

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若い頃の俺なら、このアルバムを聴いて憤ったかもしれない。ここにある音楽の多くは、ディープ・パープルやイアン・ギラン・バンドの音楽とは全く違うものだ。「ハードロック」に分類するのも間違っているだろう。作品の完成度も高くない。というよりも、きちんとした作品に仕上げられる前のスケッチのようなものだ。しかし、これもイアン・ギランの音楽のひとつであることは間違いない。

まずアルバムの冒頭にあるタイトル曲の「Intro」で、曲を始める前のリラックスした会話が聞こえてくる。このトラックがアルバム全体を象徴している。そしてタイトル曲の「Cherkazoo」はとてもわかりやすい曲だ。なんとなく聴いているだけで、いつのまにか歌詞やメロディーを覚えてしまった。続く「Monster in Paradise」は比較的ロック的な曲。曲の最後で延々とリズムを刻むドラムとベースからは、ここに何らかのソロを入れる予定であったのではないかと想像できる。「The Bull of Birantis」はバラードだ。昔のブリティッシュ・ポップ、たとえばドノヴァンのような雰囲気を持っている。懐かしい感じがする。この曲も途中でソロを入れるつもりであったような部分がある。

そしてまた「Intro」と題されたパートが入る。これは続く「Hogwash」なのだが、まずイントロ部分だけを一度やり、次にギランのボーカルを入れるが、途中で止まってしまう。ギランが何か間違ったようで「Sorry」と謝っている。そしてまた曲が始まるが、また止まってしまう。そして続く「Hogwash」に入る。スローなブギである。そして「Driving Me Wild」。これはテイク・ワンで、このCDにはこれ以外に全部で3つのテイクが収められている。「Donkey Ride Dream」はジャージーな曲。ギランのボーカルは、こういう曲も意外に、良い。「Trying to Get to You」と「Ain't That Loving You Baby」は軽快なブギ。そして「Driving Me Wild」の2つめのテイク。これにはファスト・テイクと付けられている。少し早い感じだ。

そして問題の「Music in My Head」だ。申し訳ないが、この曲だけはいただけない。AORといえばいいのか、なまぬるく、山ほど似たような曲があふれているように感じられてしかたない。

次は「You Make Me Feel So Good」がやってくる。かなりテンポは遅めで、ヘビーな感じに仕上げられている。「She Called Me Softly」はカントリー風。そして「Driving Me Wild」のテイク・スリー。これはテンポが遅めだ。「You Led My Heart Astray」はジャズ・ブルース。「A Little Share of Plenty」はリフを活かした曲で、初期のイアン・ギラン・バンドで演奏しても似合いそうだ。「Night & Day」も同様で、初期のイアン・ギラン・バンドを彷彿とさせる。

全体的に、曲のネタ集、レコーディング前のデモテイク、といった感じのアルバムだ。だがこれもイアン・ギランの一面をあらわしたものであることは間違いない。まさにファン向けの一枚だ。6つ折りにたたんだ「イアン・ギラン新聞」といったかんじのものが入っていて、これもファンにとっては嬉しいサービスといえる。(20070313/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

The Ian Gillan Band Anthology / Ian Gillan Band

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イアン・ギラン・バンドの第一期によるライブ録音とスタジオアルバムからのコンピレーションだ。ライブ録音はトラック1から4で、「ウーマン・フロム・トーキョー」、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」、「ツイン・エクゾーステッド」、そして「チャイルド・イン・タイム」の4曲。1977年のレインボー・シアターにおける演奏だとある。

ライブのうちディープ・パープルの曲である「ウーマン・フロム・トーキョー」と「スモーク・オン・ザ・ウォーター」だが、これらの曲からは、ディープ・パープルの演奏との対比より、このイアン・ギラン・バンド第一期のメンバーのファンキーな個性がはっきりとわかる。とりわけ「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のアレンジは、少々やりすぎ、という感もある。リッチー・ブラックモアが聴いたとすると、きっと良い顔をしないだろう。また演奏もなんとなく気乗りがしない、といった雰囲気が感じられる。しかし「ツイン・エクゾーステッド」の演奏は素晴らしい。さすがにオリジナル曲ではイアン・ギラン・バンドの素晴らしさがはっきりと出る。メンバーの息もぴったりあった、完璧なライブ演奏だ。

もう一曲のディープ・パープルの曲「チャイルド・イン・タイム」は、イアン・ギラン・バンドのファーストアルバムのタイトルにもとられ、イアン・ギラン・バンドなりの演奏が形になっている。ここでの「チャイルド・イン・タイム」は、もはやディープ・パープルのものではなく、イアン・ギラン・バンドの「チャイルド・イン・タイム」になっている。

スタジオアルバムからのトラックは、セカンドアルバム「クリアー・エアー・タービュランス」から「ファイブ・ムーンズ」、「エンジェル・マンチェニオ」、「マネー・レンダー」、「グッドハンド・ライザ」、そして「クリアー・エアー・タービュランス」だ。これらの曲は「The Rockfield Mix」というオリジナルとは異なるミックスになっている。実はこれと同名の「ザ・ロックフィールド・ミックス」という、セカンドアルバム「クリアー・エアー・タービュランス」の曲を別ミックスにしたアルバムがあり、どうやらこのCDには、その「ザ・ロックフィールド・ミックス」から「オーバー・ザ・ヒル」を除いたものが収められているようだ。おそらくそちらと同じミックスなのだろう。エフェクトが多めに加えられ、音のメリハリが強調されている。オリジナルとどちらが良いかは好き嫌いが分かれるだろう。

そして問題は、8曲目にあたる「ジス・イズ・ザ・ウェイ」と題された曲だ。これも「ザ・ロックフィールド・ミックス」と題されたアルバムに入っているのだが、実験的というか、まったく破天荒なトラックである。いったいどういう動機でイアン・ギランがこのようなトラックを残したのか意図がわからない。たいへん奇怪なトラックである。もちろん、これを実験音楽としてとらえれば良いのだろうが、どうしてもイアン・ギランとは結びつかない。

このアルバムは2001年にDigimode Entertainment Ltdから発売されたドイツ盤のCDだ。(20070310/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

The Purple People Eater / Ian Gillan

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イアン・ギラン・バンドはアルバムによって「イアン・ギラン・バンド」であったり「イアン・ギラン」と個人名であったり、あるいは「ギラン」であったりする。いささか紛らわしい。このアルバムは「イアン・ギラン」個人名義である。

収録されている曲は、セカンドアルバム「クリアー・エアー・タービュランス」からタイトル曲の「クリアー・エアー・タービュランス」、サードアルバム「スカラバス」からタイトル曲の「スカラバス」と「マーキュリー・ハイ」、そして「マイ・ベイビー・ラブズ・ミー」のライブ、イアン・ギラン・バンドを解散し、再結成ディープ・パープルをやめてからのソロアルバム「ネイキッド・サンダー」からは「ゲット・レアクション」、「スウィート・ロリータ」、「ノー・モア・ケイン・オン・ザ・ブレイゾス」、「ラブ・ガン」の4曲、「ギラン」名義のアルバム「ツールボックス」からは「ツールボックス」、「ダンシング・ナイロン・シャツ」、「ハング・ミー・アウト・トゥ・ドライ」、「ダーティ・ドッグ」、アルバム「シャーカズー・アンド・アザー・ストーリーズ」からは「シャーカズー」と「ミュージック・イン・マイ・ヘッド」、ロジャー・グローバーとのデュオ・アルバム「アクシデンタリー・オン・パーパス」より「シー・トゥック・マイ・ブレス・アウェイ」、同じくロジャー・グローバーとのデュオ・アルバム「パープル・ピープル・イーター」より「ザ・パープル・ピープル・イーター」である。

すなわちこのCDは、名作「グローリー・ロード」をはじめとする第二期に相当する時期のアルバムを除いて、初期の名曲と最近のソロアルバムからの選曲となっている。第一期の個性的なハードロックから、「ラブ・ガン」のような全力疾走の豪快な曲、肩の力を抜いたブギ、アコースティックな「シャーカズー」、あるいは「シー・トゥック・マイ・ブレス・アウェイ」のようなじっくりと味のある曲。イアン・ギランの多面的な才能を味わうことができる。

そして素晴らしいのは「マイ・ベイビー・ラブズ・ミー」のライブである。第一期のメンバーのバンドとしての完成度の高さ、ライブにおける演奏の素晴らしさが感じられる。この曲を聴くだけでも価値がある。しかし、どうだろう、「ミュージック・イン・マイ・ヘッド」のようなAOR風の曲は、どうもイアン・ギランには似合わない。

このアルバムは2002年にEagle Rock Entertainment Limitedから発売された。ドイツ盤だ。(20070309/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Scarabus / Ian Gillan Band

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セカンド・アルバムの「クリアー・エアー・タービュランス」がジャズ的なアプローチによって、ハードロックとして特異な個性を放っていたことに比べて、このサードアルバムでは、ハードロックのストレートな表現に回帰している。それはタイトル曲でアルバム第一曲に配置されている「スカラバス」を聴けばわかる。そしてこのアルバムに収められた曲は、いずれもロックらしい短くまとめられている。

「ツイン・エクゾーステッド」は流れるようなスピード感のある曲。「プア・ボーイ・ヒーロー」はファンク的なベースラインが印象的。イアン・ギランはとても気持ち良くシャウトしている。「マーキュリー・ハイ」はヒットを予感させる曲。「プレ・リリース」はヘビーなリズムの曲。ここまでがオリジナルのレコードでA面だ。

「スラッグ・トゥ・ビッチズ」はコリン・タウンズのピアノではじまるブギ。「アパシー」は裏のリズムで始まる。続く「マッド・エレーナ」とあわせて不思議な雰囲気を持っている。「カントリー・ライツ」はファンキーな曲。そしてオリジナルアルバムとしては最後の「フールズ・メイト」も跳ねまわるベースが印象的で個性的な曲である。

ここまでの10曲がオリジナル・アルバムの曲である。このCDにはボーナストラックとして「マイ・ベイビー・ラブズ・ミー」のライブが収められている。この曲はファーストアルバム「チャイルド・イン・タイム」に収められていた曲だ。

俺はアナログレコードも持っているが、ジャケットデザインはこれとは違う。またいつか紹介したい。このアルバムは、もともと1977年に発表された。このCDは1998年にEagle Recordsから発売されたものだ。(20070308/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Clear Air Turbulence / Ian Gillan Band

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このアルバムを聴くと、つくづくイアン・ギラン・バンドは、ハードロックというカテゴリに収まらないバンドであったのだと思う。ジャズ的でもあるし、ロック的でもある。ソウルあるいはファンクな雰囲気も持っているし、プログレッシブでもある。そしてもちろん、イアン・ギランは思う存分シャウトしている。

イアン・ギランは1972年にディープ・パープルを脱退し、しばらく音楽シーンから離れていたが、1975年にこのイアン・ギラン・バンドを結成した。1976年にはキーボードがコリン・タウンズに代わって第一期ともいえるメンバーが確定した。そして1976年にファーストアルバム「チャイルド・イン・タイム」を発表、1977年にはセカンドアルバム「クリアー・エアー・タービュランス」とサードアルバム「スカラバス」を発表。そして来日公演を記録したライブアルバム「ライブ・アット・ザ・武道館」を発表して、第一期の活動は終焉する。

ファーストアルバム「チャイルド・イン・タイム」は、実はすぐれた楽曲が揃った好アルバムなのだが、残念ながらアルバムタイトルがディープ・パープルを吹っ切れていないような印象を受け、また収録されたチャイルド・イン・タイムのアレンジが過剰すぎたために、新しいバンドの船出としては良くなかったように思える。その意味では、このセカンドアルバムが渾身の一撃、と言えるだろう。

しっかりしたアレンジで、まるでドラマを見ているような気にさせてくれる「クリアー・エアー・タービュランス」、詩的で静かにドラマチックな「ファイブ・ムーンズ」、イアン・ギラン・バンドらしいロック的な側面をみせてくれる「マネー・レンダー」、スピード感があり、タイトル曲と並んでアルバムの聴きどころである「オーバー・ザ・ヒル」、プログレッシブで意欲的な「グッドハンド・ライザ」、フュージョンかクロスオーバー的な要素のある「エンジェル・マンチェニオ」、どの曲も素晴らしい。

最近、同じ「クリアー・エアー・タービュランス」という名前で、ボーナストラックのたくさん入ったCDがあるので、注意したい。このCDは1998年にEagle Recordsから発売されたものだ。ジャケットデザインが秀逸である。(20070307/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Live at the Budokan / Ian Gillan Band

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これは1977年9月に来日し、武道館でコンサートを行ったアイン・ギラン・バンドの記録である。イアン・ギラン・バンドは1975年に結成した。結成当初よりキーボードがマイク・モランからミッキー・リー・ソウルへ、そしてコリン・タウンズへと交代したが、1976年にはギターがレイ・フェンウィック、ベースがジョン・ガスタフスン、ドラムがマーク・ナウシーフ、そしてキーボードがコリン・タウンズ、ボーカルをイアン・ギランというメンバーが確定した。

このメンバーでアルバム「チャイルド・イン・タイム」と「クリアー・エアー・タービュランス」、そして「スカラバス」を発表することになる。これがいわばイアン・ギラン・バンドの第一期といえる。メンバーは1978年に大きく入れ替わるので、このライブ・アルバムは第一期の総決算的といった作品である。

このメンバーは実に個性的である。マーク・ナウシーフは元エルフのドラマーだが、独特のシンコペーション感とハイハットの切れの良さは、ロック的ではない。ジョン・ガスタフスンのベースは曲の低音部を支えるだけでなく、積極的に歌うフレーズを弾く。レイ・フェンウィックのギターもブルース臭さがなく、ジャズ的なアプローチさえ見られる。コリン・タウンズはハモンド・オルガンやピアノも弾くが、肝心のソロにはシンセサイザーを使う。もしイアン・ギランがボーカルでなければ、このメンバーはクロスオーバー、あるいはフュージョンに分類されるバンドになっていたのではないだろうか。

ここに収められているのは、セカンドアルバム「クリアー・エアー・タービュランス」から「クリアー・エアー・タービュランス」「マネー・レンダー」「オーバー・ザ・ヒル」、サードアルバム「スカラバス」から「スカラバス」「マーキュリー・ハイ」「ツイン・エクゾウステッド」、そしてディープ・パープルの曲から「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「チャイルド・イン・タイム」「ウーマン・フロム・トーキョー」である。どの曲もアレンジが練られており、ライブ感に満ちている。イアン・ギラン・バンドはこれ以降メンバーが変わった後は、ハードロックの保守本流的な曲作り、音作りに変化していく。様々なスタイルのロックバンドがあるが、この第一期といえるイアン・ギラン・バンドは、ハードロックの歴史の中でも独特の個性を放っている。

このCDは、1978年に「ライブ・アット・武道館」、「ライブ・アット・武道館Vol2」として発売された2枚のレコードをまとめ、1989年にヴァージン・ジャパンから発売された日本盤である。(20070306/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Live / Ian Gillan

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イアン・ギランの声は最高だ。この気持ちは、学生時代に夢中になって聴いたことに端を発しているので、間違いなく死ぬまで治らない。

ロックに限らず音楽はいろいろな楽しみ方があるが、なかでもボーカルというパートは、他の何物にも代えがたい、その人独特の個性があるので、ボーカルがどうであるか、が曲のイメージを決定するということが往々にしてある。ボーカルを味わうためにその曲を聴く、そのバンドの曲を聴く、ということが少なくない。

その意味では、俺は死ぬまでイアン・ギランを追い続けるだろう。ディープ・パープル時代のイアン・ギランもいいが、自分のバンドを持ち「ギラン」あるいは「イアン・ギラン・バンド」を名乗っていた時代が、最も脂の乗り切ったときではないだろうか、と思う。このアルバムは、その当時のライブ録音をCDのしたものだ。

録音は1979年と1980年、レディング・ロック・フェスティバルとBBCコンサートのものだと書かれている。おそらくCD1がレディング・ロック・フェスティバルで、CD2がBBCコンサートだろうと推測される。パッケージが簡素なものであり、録音に際してこれ以上の詳細はわからない。2枚組のCDで、CD1は12曲で合計60分46秒、CD2は12曲で60分09秒の録音だ。

いずれの録音も、ミキサー卓から音をとったのではなく、マイクを2本立てて生録音したようなもので、録音のクオリティは良くない。しかし会場そのもののコンディションが良いので、十分に演奏を楽しめる。いや、むしろ臨場感があって、迫力が感じられて良いともいえる。

強力なメンバーを擁して、全力疾走するイアン・ギランの雄姿がここにある。この音を聴くことができて、俺は幸せだ。(20070303/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Complete Piano Music, Vol.1 / Manuel Blancafort

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カタルーニャ州は、州都をバルセロナ市を擁するスペイン北東部の州。カタラン語という独自の公用語を使い、カタラン地方とも呼ばれ、歴史的にスペイン中部のカスティーリャ地方とは異なる文化を持っている。マヌエル・ブランカフォートは、そのカタルーニャで自動ピアノの一種であるピアノラ製造工場を所有している家族のもとで成長し、愛国主義的な音楽を作曲した。

やさしい音楽である。マニュエルブランカフォートは青年時代にモンポウに会って大きな影響を受けた、とのことだが、確かにその音楽はモンポウと通じるものがある。あるいはまた、エリック・サティのようでもある。素朴な作風の中に印象的なメロディーが息づいている。どの曲も、奇をてらうことなく、それでいて一度聴いたら心に深く染み込んで忘れられない。不思議なくらいである。

このCDはNAXOSのスパニッシュ・クラシックスと銘打たれたシリーズの一枚で、ブランカフォートのピアノ音楽全集第1集である。収められいるのは7曲の「青春の小品」、9曲の「山の歌」、8曲の「過ぎ去りし日々の覚え書」、そして13曲の「12の歌」の合計37曲である。ちなみに「12の歌」が13曲でできているのは、うち1曲が「1st version」と「2nd version」に分かれているためである。

現時点でNAXOSからはブランカフォートのピアノ作品集が1集から3集まで出ている。このような地味であるが素晴らしい音楽を、手頃な価格で手に入れることができるNAXOSのシリーズは素晴らしい。またNAXOSは音楽を表現する言葉もうまい。CDについている日本語の紹介文を読むと、一刻も早くこの音楽を聴かなければ、といった気持ちにさせられる。

録音は2002年11月、スペイン、ハフレ、オーディトリウムで行われた。ピアノはミケル・ビリャルバ。2003年9月にNAXOSから発売されたE.C.盤のCDだ。(20070302/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Symphonic Poem "Tateyama" 交響詩「立山」/ Toshiro Mayuzumi 黛敏郎

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黛敏郎はテレビ番組「題名のない音楽会」の司会として知られている。現代音楽のことをよく知らなかった頃は、黛敏郎は指揮者として知っていても、作曲家としてはよく知らなかった。現代音楽を少し知るようになってからは、曼荼羅交響曲や涅槃交響曲などの有名な曲を聴くようになった。

保守系団体「日本を守る国民会議」の議長を務め、保守派の論客として知られたところからすると、その音楽も国粋主義的なものであると考えられる。しかし黛敏郎の音楽は、たとえば伊福部昭や松平頼則のような日本へのこだわり方とは、また少し違ったものがある。黛敏郎の姿勢は日本に対して中庸であり公平である。日本的である、あるいは日本人であるということ以前に、音楽として純粋であり、音楽家としての真摯な姿勢がある。

この交響詩「立山」は、1973年に制作された松山善三監督の映画のために作曲された。黛敏郎は「映画を自由に作って貰った上で、私は私なりに、その映画に即した、しかも純音楽としても成立し得る作品を作ろうと云うことになった。もちろん、私自身も、立山を上空から綿密に観察したり、新雪の室堂平から完成数日前に立山隧道を歩いたり心ゆくまで『立山』を体験した」と語っている。黛敏郎の作曲に対する真摯な態度が伝わり、そして確かにこの「立山」は、親しみやすい作品である。

このCDは、1980年にレコードが発売されたものを2004年にTOWER RECORDSと株式会社BMGファンハウスがCD化したものだ。TOWER RECORDS RCA Precious Selection 1000の一枚、No.24である。(20070301/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Hole in the Bird / Dietrich Eichmann

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「Piano Quartet the Late 92」はピアノ四重奏曲であるが、もともとはヘビーメタル・バンドと2台のピアノのために書かれたらしい。ロック・バンドを現代音楽に使うという発想は、普通の作曲家にはないだろう。そのロック・バンドが何なのかは解説には書かれていないが、2人の素晴らしいミュージシャンがいたらしい。ところが往々にしてロック・バンドというものは早くに解散してしまうもので、この曲が完成する前にバンドは解散してしまったらしい。それから後になってOttomaniアンサンブルから4台のピアノのための曲を作って欲しいと頼まれたとき、この曲のことを思い出して材料として作ったらぴったりだった、とのことだ。

確かに4台のピアノはまるでロックバンドのように絡み合いながら演奏をする。ただし楽器が全部ピアノなので、音の区別がつきにくい。きちんとしたオーディオ・セットで聴くか、良いヘッドフォンを使って聴かないと、面白さは半減するかもしれない。クラスター的な音を多用し、荒々しい曲である。

訳せば「香港の朝、薄明かりの中で皮製ユリに出会った悪臭指の大量殺人者ジョー」といった感じになる2曲目は、クラリネットとバイオリン、ピアノ、そして解説の声による作品だ。声を発しているのはディートリッヒ・アイヒマン自身である。こちらはそれほど饒舌ではなく、あえて洗練されていない粗野な音をぶつける面白さがある。同じフレーズを繰り返し何度も使うところは、まさに偏執的な様相を呈している。打撃音なども加えられており、解説の声もあわせて演劇的な要素も感じられる。

「フルートとピアノのための熱く無題の曲」は楽器の演奏、というか音の面白さをじっくりと聴かせる曲である。またフルート奏者の声らしい音も入っており、何かを叩く音もある。またいったい何をどうやって音を出しているのか不思議な音も入っている。ピアノもユーモアがあり最初から最後まで飽きさせない曲だ。

このCDは2001年にWERGOから発売された。ドイツ盤である。(20070228/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Music for Non-Prepared Piano / John Cage

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ジョン・ケージのピアノ曲といえば、やはりプリペアード・ピアノのための曲という印象が強いが、だからこそこのCDでは、あえてジョン・ケージのプリペアードではないピアノ曲が収められている。これらのピアノ曲を、あえて「Music for Non-Prepared Piano」というところが面白い。

ところで、まずは、ジョン・ケージのプリペアード・ピアノでない作品が面白いのかどうなのか、というところだが、まず1938年の作品である「メタモルフォーシス」や1935年の「探究」では、まさにプリペアード・ピアノへとつながるような着想の作品であり、ピアノ自体は普通のピアノであるが、幾何学的な音の使い方が進化の過程にあることが感じられる。1946年の作品「オフィーリア」も同様の傾向で、リズムを重視しながらピアノの音の面白さをふんだんに試行した作品になっている。

同じ1946年の作品でも「ピアノのための2つの小品」では、音がたいへん少ない。また1948年の「ある風景の中で」と「ドリーム」はまるで印象派のピアノ曲のように優しい。同じ1948年の「トイ・ピアノのための組曲」でも、おもちゃのピアノで演奏できるようにという制約のなかで、限られた音域の音だけを選んで作曲されている。

他にも1987年に作曲されたナンバーピースの最初の作品「One」や1985年の作品「ASLSP」など後期の作品も収められている。「メタモルフォーシス」や「オフィーリア」といったケージらしい派手な作品も楽しめるが、「ある風景の中で」と「ドリーム」のような清楚で美しい作品に出会えたのも嬉しい。ジョン・ケージの知られざる一面をみた気がする。

ピアノ演奏はジェイ・ゴットリーブ。このCDは2002年にogamから発売されたCDを日本の東京エムプラスという会社が輸入し、日本語の解説を少しつけて国内で発売したものだ。CDそのものはフランス盤である。(20070227/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Gruppen, Punkte / Karlheinz Stockhausen

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「グルッペン」は1955年から1957年にかけて作曲された曲で、3つのオーケストラのための作品だ。3つのオーケストラはほぼ同じ規模であり、左がオーケストラ1、中央がオーケストラ2、右がオーケストラ3というように配置され、全体の人数は109名というもの。楽器の中にはエレクトリック・ギターも含まれている。

一般的なメロディーを奏でる楽器はまるでなく、演奏というより発音、の集まりである。各楽器は勝手気ままに音を出しているように思えるが、カオス的なばらばらの部分と、一斉に一つの方向を向いて揃う瞬間、アンサンブル的に調和を持って互いに高めあう瞬間、など緻密に構成されている。その意味では、いわゆる交響曲としての要素をちゃんと持っている曲ということができる。

それにしても様々な音が出るものである。いくつかの音が重なり合って、さらに不思議な音を作り出しているのだが、いったいこれは何の楽器の音だろう、と考えてしまうような音があちこちにある。またCDではステレオの2チャンネルだけだが、実際に3つのオーケストラを前にして聴くことができれば、音空間のとても大きな広がりを味わうことができるのだろうと思う。視覚的にも面白いだろう。

「プンクテ」は「点」という意味である。1952年に作曲されたが、1962年に大幅な改訂が行われ、最終的に1994年に決定稿が出された作品だ。ここでは1994年の決定稿が演奏されている。「点」という意味のタイトルだが、単に「点」だけではなく、平面的な「層」が重なり合った立体感があり、その平面に点をぽつぽつと落とした、といったような音楽である。特に後半が面白い。

このCDはBMC、ブタペスト・ミュージック・センター・レコードから発売された。音楽とは関係ないが、ジャケットデザインが秀逸である。(20070224/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Ningyo Fudoki Suite, Suite for Children 組曲「人形風土記」、子供のための組曲 / Katsutoshi Nagasawa 長沢勝俊

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長沢勝俊は1923年に東京で生まれた。日本大学芸術学部で学び、人形劇団「プーク」に入団し、人形劇のための音楽を作曲しながら、清瀬保二に師事した。また1964年に結成された「日本音楽集団」のために多くの作品を書いた。このアルバムには、長沢勝俊が日本音楽集団のために書いた2つの曲が収められている。

組曲「人形風土記」は1966年に作曲された曲で、長沢勝俊の初期の代表作といえる作品だ。日本各地の郷土人形をテーマに作曲されており、構成する6つの曲はそれぞれ「ニポポ」「こけし」「のろま人形」「流しびな」「きじうま」「木うそ」と表題がついている。いずれもたいへん素朴な曲で、まさにその素朴さが特徴となり、時の中で育まれた伝統的な温かさを感じさせる。使われている邦楽器は曲によって異なるが、篠笛、尺八、琵琶、三絃、箏、太棹三絃、十七絃、そして打楽器だ。

「子供のための組曲」は、日本音楽集団の旗揚げ公演で初演され、長沢勝俊と日本音楽集団の代表的な曲となっている作品だ。冒頭の第1楽章「Vivace」のメロディーはダイナミックで印象的であり、一気に心を引き込まれる。第2楽章「Andante cantabile」は尺八だ。尺八というのは、恒久の時を思わせる音がする。第3楽章「Scherzando」は邦楽器の合奏で演奏される。リズミカルで明るく、ユーモラスな曲だ。第4楽章「Larghetto」は、ゆったりとした雰囲気で終章前の落ち着きをみせる。そして最後の第5楽章「Allegro vivace」は和太鼓で始まり、そして三絃が加わって次第に合奏が大きくなる。伝統的な日本民謡を意識させる曲だ。

録音は1970年、川口市民会館で行われた。もともとの録音ソースのクオリティが良くないことと、曲に音の疎な部分が多いことで、かなり磁気テープのヒスノイズが耳につく。イヤフォンで聴くときは少々気になる。しかしこのような録音をCD化する意欲的な企画に感謝したい。TOWER RECORSと株式会社BMGファンハウスによる「TOWER RECORDS RCA Presious Selection 1000」と題されたシリーズのNo.25で、1,050円という廉価で販売されたものだ。(20070223/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

An John Field. Nocturnes, Vier Neue Klavierstucke, Klavieralbum mit Sphinxen / Wilhelm Killmayer

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これは面白い。ユーモアにあふれた、大胆なピアノ曲である。なんとなく聞き流せば落ち着いた古典的なピアノ曲かな、と思わされるが、どこか奇妙である。そう思いながら聴き進めていくと、だんだんと尋常ではない雰囲気になってくる。しかしそれらは、完全にアバンギャルドといった混沌へ行ってしまうのではなく、偉大なるユーモアの精神、という状況で収まっている。

「ジョン・フィールドにおける夜奏曲」は5つの楽章で構成されており、そのうちの3番目は「Am Grat (On the ridge)」、4番目は「Ausflug aus dem Karzer (Escape from detention)」、そして5番目は「Im Schlupfoch (In the hole)」と名前がついている。どの曲も落ち着いた中に正気と狂気の紙一重、といったクールな緊張感を含んでいる。微妙な曲のねじれ方は、しっかりと集中して聴くと面白さがよくわかる。

「5つの新しいピアノ曲」は、まさに、ニュー・スタンダード、といった感じだ。現代的な難解さはなく、さりとて単なる綺麗なだけの曲ではない。しかし、あまり難しく考えなければ小粋なピアノ曲集、ととらえて聴くこともできるだろう。このCDの中ではリラックスして聴けるトラックだ。

「スフィンクスのピアノ曲集」は9つの曲で構成されている。「スフィンクス」は、頭は女性で翼のあるライオンの胴体を持ったギリシャ神話の怪物だ。通行人に謎を出し、答えられなかった者を殺したという。これを転じて「不可解な人、謎の人」という意味もあるようなので、「不可解な人のためのピアノ曲集」という意味にもなるのだろうか。比較的はっきりとメリハリをつけて羽目を外してくれるのでわかりやすい。ただ9つの曲で構成されているにもかかわらず、全部で16分58秒しかなく、曲が短いのが残念だ。

このCDによって、俺はヴィルヘルム・キルマイヤーの曲に初めて出会い、たちまち虜になってしまった。音楽との出会いは不思議な縁であり、他の何物にも代えがたい財産となる。演奏はSiegfried Mauser。ヴェルゴWERGOから2002年に発売されたドイツ盤だ。(20070222/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Lyric Symphony, Three Pieces from the "Lyric Suite", Five Orchestral Songs / Alexander Zemlinsky, Alban Berg

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このCDには、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの代表作とされるLyric Symphony in Seven Songs Op.18「抒情交響曲」、そしてこの曲から引用されたアルバン・ベルクのThree Pieces from the "Lyric Suite"「抒情組曲」、そして同じくベルクのFive Orchestral Songs after Texts from Postcards Op.4「アルテンベルク歌曲集Op.4」が収められている。

ベルクの「抒情組曲」を聴くと、ああ、この人はまさにシェーンベルクを継ぐ人であったのだ、と思う。官能的であり、ロマンに満ちている。だがしかし、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」との関連について考えるよりも、この曲はこの曲として味わうのが正しいと思う。

一方「アルテンベルク歌曲集」では、後期ロマン派の影響から脱し、新しい境地へとベルクが歩を進めようとしていることがわかる。ベルクの師といえるアーノルド・シェーンベルクからは良い評価をもらえなかったらしいが、もしかしたらベルクの進もうとしている世界がシェーンベルクにはわからなかったのかも知れない。

「抒情組曲」は、たいへんダイナミックな曲だ。特に第2楽章から第3楽章へかけての展開は息もつかせぬ迫力を持っている。しかし、一瞬で心をぐっと捕まえられるほどの印象的な部分はない。やはり誰にでも知られるポピュラーな曲になるためには、多少強引であっても、人の心を鷲掴みにするような個性が必要なのだろう。だが誰にでもすぐわかるような明確な魅力を持たない曲こそ、じっくりと聴き込むことでますます良さがわかってくるということもある。いくつかのWebサイトを見ると、このCDにおける演奏の評判は高いようなので、この曲とはこれからゆっくりとつきあうことにしよう。

演奏はSWFシンフォニー、指揮はミヒャエル・ギーレン。ARTE NOVAから発売されたEC盤だ。(20070221/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Works by Tokuhide Niimi 風を聴く / Tokuhide Niimi 新実徳英

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「風音」はクラリネットとバイオリン、チェロのための音楽である。ごくわずかに波長の異なる楽器の音が、うねりを持って一体となっている。どの音がクラリネットなのか、バイオリンなのか、そしてチェロなのか、区別がつきにくい。また、そのような区別を不要とする所に、この曲の面白さがある。メロディーは雅楽のようでもあり、日本を意識させる。そして風音は、ずっと高みへのぼりつめ、果てる。

「横竪」と題されたチェロ独奏の曲は、「横」と「竪」すなわち「ヨコ」と「タテ」を意味している。チェロの独奏を、ヨコとタテというメリハリのある2分化した構成と奏法で組み立てているようだ。それはすなわち高音と低音、早いパートと遅いパート、アルコとピッチカートといった具合である。

「風韻II」は3本の尺八による曲だ。ここでも音程のわずかにずれた尺八の音がうねりをみせ、空間的な広がりを感じさせる。複雑に重なったり離れたり、ほとんど一体となって形をなしたりする。それにしても尺八という楽器は本当に艶がある。

「青の鳥」は「おうのとり」と読む。2台の十二弦箏による作品だ。最初はかすかに小さな音で始まる箏の音が次第に大きくなり、箏に独特の大きなビブラートで踊るように奏でられるところが大胆である。一定のリズムで2つの箏がつかず離れずユニゾン的に弾かれるところにはミニマルミュージックの香りも感じられる。とても面白い。

最後の「風を聴く」は室内楽であるが、他の曲と異なり、やや大きな編成である。2本の篠笛、3本の尺八、3台の二十弦箏、1台の十七弦箏によって演奏されている。楽器の編成が大きいこともあって、より複雑な相互作用をみせてくれる。聴き込むほど味わい深さが増す作品だ。

このCDはライブ録音であり、「お聴き苦しい箇所がございますがご了承下さい」と断り書きがある。時折なにか物が動くような音がする箇所があるが、ほとんど気にならない。むしろ楽器の音にライブ感があって、生々しさが感じられる録音になっている。このCDはfontecから発売された日本盤だ。(20070220/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Berio Conducts Berio / Luciano Berio

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このCDの邦題は、収められた曲のタイトルをとって「シュマンIV」となっている。CDについている簡単な紹介文には「現代音楽ファンが待ち望んだ名盤の復活です。」と書かれているが、まさにそのとおりである。このCDには、ルチアーノ・ベリオの音楽がもつ様々な魅力が詰まっている。

「Points on the Curve to Find」は、短いパッセージの音で紡がれた曲である。全体的に音が薄いので素朴な印象を受けるが、ピアノ、3台のフルート、オーボエ、イングリッシュホルン、3台のクラリネット、アルトサキソフォン、2台のファゴット、2台のホルン、2台のトランペット、トロンボーン、チューバ、チェレスタ、ヴィオラ、2台のチェロ、コントラバスの合計23台の楽器による演奏である。それぞれの楽器が互いに影響を与えながら音を出しているようなところは、まるでジャズかブルースのインタープレイのようだ。

2曲目の、ベリオにとっては初期の作品である「Concertino」は、ロマン主義の香りもかすかに感じられる。現代音楽の作曲家としてベリオを見たとき、この曲は異質に思えるかもしれないが、ベリオの音楽に慣れていない人でも楽しめる曲だ。

「Chemins IV」は、ベリオのライフワークともいえる「セクエンツァ」と密接な関係のある「シュマン」シリーズの第4作である。「セクエンツァ」のシリーズは、基本的に1台の楽器によるソロ演奏曲だが、「シュマン」は「セクエンツァ」のいくつかの曲を合奏曲にしたものである。「シュマンIV」はオーボエによる「セクエンツァVII」を、オーボエと弦楽器のための協奏的作品に仕上げたものである。曲の冒頭はオーボエのソロで始まるが、次第に弦楽器が重なり合い、立体的に曲を構成するように展開する。

「Linea」は2台のピアノ、ヴィブラフォン、マリンバのために書かれた、ベリオにとって初のダンス音楽ということである。しかしダンス音楽といっても、もちろん尋常ではない。この曲でダンスを踊ろうと思っても、そう簡単ではないだろう。ベリオはこの作品について「リネアのテーマは、非常に単純な旋律と、もっと複雑な、分化した独立のアーティキュレーションズへと絶えず変形することである。4人の奏者は時として同じ旋律を”歌い”、時として分散をして別の音楽を奏する」と記している。

録音は1976年であり、比較的古い。ヘッドフォンで聴くと、テープのヒスノイズも明らかに聞こえるが、演奏は素晴らしい。このような音源をCD化したタワーレコードの企画に敬意を表したい。ジャケットの右下に小さくデザインされているのは、元のRCA盤のジャケット写真であろう。「TOWER RECORDS RCA Precious Selection 1000」というシリーズで、タワーレコードが企画し、株式会社BMGファンハウスが発売したものだ。日本盤のCDで定価が税込1,050円と廉価である。(20070217/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

The String Quartets / Luciano Berio

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イタリア語で「Notturno」というタイトルは英語で「Nighttime」、つまり「夜間」である。1993年の作品で、25分01秒のやや長い作品である。弱く、強く、痙攣するかのように小刻みに震える弦楽器の音は、神経質で耳障りだ。しかし、曲が展開するにつれ、それら神経質な弦楽器たちは、小さな羽虫が明りに集まるかのように、とりついたり離れたりしながら、ある一つの形を作っていく。見事だ。

ルチアーノ・ベリオの音楽は立体的である。この立体感は、ピラミッドのように階層的に構成されたものではなく、前後左右、そして上下から平面を寄せたような立体感である。いや、弦楽四重奏曲であるから、4方から正三角形を寄せた、正四面体を構成していると言うべきか。しかし、直感的には立方体のような形成感がある。

そのような立体的な印象を受けるのは、各楽器が平等に扱われているからであろう。どの楽器が伴奏で、どの楽器が主旋律、といった役割分担はない。すべての楽器がどの瞬間をとっても、伴奏であり主旋律である。切り刻まれ、各楽器に割り振られた主旋律であり伴奏である、と言ってもいいのだろうか。ある瞬間ではバラバラであり、また次の瞬間にはひとつにまとまる、といった変化が面白い。

「Sincronie」は英語で「Handshakings」、1963年から1964年にかけて作曲されたもので、18分26秒の作品である。弦楽器のか弱くこするような印象的な奏法で始まる。全体的に音数の少ない曲だ。しっかりと小さい音まで注意深く聴かなければならない。「Glosse」は英語で「Glosses」、「光沢」のことである。1997年の作品で、9分48秒の曲。こちらも音はたいへん疎であり、弦楽器の囁くような奏法が面白い。そして最後は「Quatuor n1」。1956年の作品で、このCDに収められた曲の中では、比較的ゆったりとしており、地味な印象であるが、弦楽器の様々な奏法が織り込まれている。

演奏はアルディッチ弦楽四重奏団で、BBC Radio 3/WDRから「アルディッチ・カルテット・エディション38」として2002年に発売されたフランス盤のCDだ。(20070216/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Quatuor 1905, Quatuor n2, Quatuor op.3 / Anton Webern, Arnold Schoenberg, Alban Berg

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このアルバムには、ヴェーベルンの「弦楽四重奏曲1905」とシェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」、およびベルクの「弦楽四重奏曲Op.3」の3曲が収められている。これらの曲を聴きながら、ヴェーベルンとシェーンベルク、ベルクの違いは何だろうか、などと考えていた。しかし、しばらく聴いてから思ったことは、そうではなくて、これらの曲が作曲された時代の空気というものこそ、じっくりと味わうべきなのではないか、ということである。

ヴェーベルンとベルクはともにシェーンベルクに学んだ作曲家である。演奏のマンフレッド弦楽四重奏団によると、彼ら弦楽四重奏団が最初にシェーンベルクの弦楽四重奏曲第1番を演奏したのは1989年であり、それ以来、シェーンベルクの「浄められた夜」などを演奏しながら、20世紀前半のこれら3人の作曲家について、より深く学びたいと思ったのだ、と書かれている。そしてこれら3曲を選曲したという。

最初に聴いたときにすぐ気付いたことだが、ヴェーベルンの「弦楽四重奏曲1905」にはシェーンベルクの「浄められた夜」の旋律がたくさんあらわれる。むしろ編曲である、と言ってもいいくらいである。しかしそれは単に真似をしているというのではなく、ヴェーベルンの作品としての個性があらわれた、躍動的で若々しさを感じる作品となっている。

シェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」は1907年から1908年に作曲された。そしてベルクの「弦楽四重奏曲Op.3」は1909年から1910年に作曲された。これらの作品はいずれもロマン主義から無調、そして12音音楽への移りゆく過渡期のきらめくような作品たちである。

録音は2004年の6月14日から18日の間に行われた。演奏はマンフレッド弦楽四重奏団。シェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」におけるソプラノはMarieke Kosterである。(20070215/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Rhapsody in Blue, An American in Paris / George Gershwin

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ガーシュウィンはアメリカを代表とする作曲家であり、もともとポピュラー音楽の作曲で有名でもあったことから関心はあったのだが、以前、知人にガーシュウィンを聴かせてもらったときは、特段の感動はなかった。だが、このアルバムでガーシュウィンの音楽を再び聴くことになり、その面白さがわかった気がする。

「ラプソディ・イン・ブルー」はガーシュウィンの作品の中でも有名なものだが、曲の冒頭で低音から高音へと伸びやかに立ち上がるクラリネットの音に、思わず小躍りしたくなる。このクラリネットを代表として、この曲では各楽器のソリストとしての面白さが浮き出ているように思う。

「キューバ序曲」は賑やかな曲である。ガーシュウィンが1932年にキューバを訪れたときの印象を曲にしたとのことで、最初は単に「ルンバ」というタイトルだったそうだ。1932年といえば、キューバが政治的には不安定な状況ではあるが、アメリカとの一定の関係にあった時代である。スペインとアフリカの音楽が融合した、まさにラテン的なキューバ音楽の楽しさが表現されている。

「キャットフィッシュ・ロウ」はガーシュウィンの不屈の名作オペラ「ポーギーとベス」の聴きどころをまとめて組曲にしたものである。第1曲の「キャットフィッシュ・ロウ」では、たいへん印象的なテーマのフレーズがある。なんというか、ある意味では間の抜けたというか、ユーモアがあるのだが、たいへん強引なフレーズである。一度聴いたら忘れられない。第2曲の「ポーギー・シングス」はバンジョーによる伴奏が印象的だ。優雅な第3曲「フーガ」をはさみ、第4曲「ハリケーン」では小刻みで早いパッセージのフレーズで半音階をならべた嵐が表現されている。わかりやすく直接的な表現手法である。最後の第5曲「グッド・モーニング」は教会の鐘の音を想起させる音で始まり、まさに終曲にふさわしい感動的な結末で締めくくられる。

ガーシュウィンは1928年にパリを訪れた、その帰国後にパリの印象を曲にしたものが「パリのアメリカ人」であり、初演は1928年12月に行われた。この曲もパリの優雅さを表現しつつ、アメリカ人気質的なわかりやすい派手で素朴なフレーズが散りばめられている。まさにポップスとクラシックの融合というべき音楽だ。

録音は1990年7月、シカゴで行われた。演奏はシカゴ交響楽団、指揮とピアノはジェイムズ・レヴァイン。ポリドールKKから発売された日本盤のCDだ。(20070214/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Symphony No.3 悲歌のシンフォニー / Henryk Gorecki

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欧米で30万枚を超える大ヒットとなったグレツキの代表作が、この「悲歌のシンフォニー」は単なる癒しの音楽ではない。届かなかった神への祈りに対する悲嘆と哀悼の歌である。

不安を象徴する地の底でうごめくような低音から第1楽章「レント~ソステヌート・トランキッロ・マ・カンタービレ」は始まる。そして少しずつ、まるで水面にさざ波が立つかのように旋律がわきあがってくる。次第に希望が形をあらわすかのように旋律の輪郭が明らかになり、力強く、そして優しくひとつになり、ユニゾンで奏でられる。

長い前奏の後に「聖十字架修道院の哀歌」として知られる「ウィソグラの歌」より15世紀ポーランドの祈りの言葉が歌われる。「私の愛しい、選ばれた息子よ、自分の傷を母と分かち合いたまえ・・・」息子を思う母の心に、優しい気持ちになれるのは束の間である。一転して不安を呼び起こす瞬間が訪れ、叫ぶように悲しみを振り絞る歌となる。そして再び旋律は散り散りになり、地の底へと沈み込んでいく。この第1楽章は本当に見事である。演奏時間も26分23秒と全体のほぼ半分を占めており、まさにこの曲の中心となる楽章である。

第2楽章「レント・エ・ラルゴ~トランキリッシモ」はこのシンフォニーの中でも最も有名になった楽章である。第1楽章の重々しさから、一転して明るいテーマが奏でられるが、それは束の間。「お母さま、どうか泣かないでください・・・」と始まる歌は、第2次世界大戦にナチス・ドイツに囚われた女性が独房の壁に書いたと言われる祈りの言葉である。悲痛な歌は曲の中間部で再び明るいテーマに彩られて一転するが、悟ったかのような神聖な印象の奥には、不安と恐怖が渦巻いている。

この第2楽章がイギリスのあるラジオ番組のテーマ曲としてとりあげられたことが、グレツキの再評価につながったらしいが、それは、ある意味で勘違いの結果である。この第2楽章は、囚われの身となり死を覚悟した女性がもつ不安と恐怖、神への祈り、そして母親への心遣いという様々な思いを一つの楽章へ集成したものであり、癒しを感じさせるのは、その単なる一面でしかない。

第3楽章「レント・カンタービレ・センプリーチェ」では、カトヴィーツェの北西にあるオポーレ地方の民謡が使われる。息子を亡くした母親の嘆きである。ミニマル的に短く繰り返されるフレーズには、母親の無念の思いが込められている。

録音は1991年5月、ロンドン、CTSスタジオで、ソプラノはドーン・アップショウ、ディヴィッド・ジンマン指揮、ロンドン・シンフォニエッタの演奏で行われた。このCDはワーナー・ミュージック・ジャパンから発売された日本盤だ。(20070210/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Complete Piano Works / Claude Achille Debussy

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ドビュッシーはピアノ曲の大家という印象があるが、意外にもピアノ曲全集が4枚のCDに収まってしまうのだ。ピアノはジャック・ルヴィエ。録音は1982年から1987年とやや古い音源だが、このように手軽な価格でCDが手に入るというのは、たいへん嬉しいことだ。レコードの時代には考えられなかった。

さらに嬉しいのは、28ページにわたる解説の冊子が付いていることだ。もちろん日本語である。大宅緒氏による「ドビュッシーのピアノ作品」という文と、ディスク1から4のほとんど全曲についての詳細な解説である。これはたいへんありがたい。解説を読みながら聴いていると、ドビュッシーの世界をより深く味わうことができる。

そういえば、ドビュッシーを最初に聴いたのは、冨田勲のシンセサイザーによってであった。この記憶は今でも鮮明で、ピアノによるこれらの演奏を聴いても、「亜麻色の髪の乙女」や「沈める寺」、「雪が踊っている」、「ゴリウォーグのケークウォーク」などを聴くと、頭の中にシンセサイザーの音がよみがえってくる。

ところで、ドビュッシーにつけられた「印象派」という言葉は、若手の作曲家に対する揶揄を込めた言葉であったそうである。音楽に限らず、芸術の流れの中に新しい潮流が芽生えるとき、それを理解できない人たちは、揶揄したり蔑んだり、またときには激しい言葉で攻撃したりする。だが良いものは必ず歴史の中で評価されるのだ。

このCDはコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社から2005年に発売された。「DENON名盤アーティストBOX」と題されたシリーズのひとつで、日本盤の4枚組CDボックスセットである。(20070209/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Symphonies / Dmitry Shostakovich

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「現代音楽」の定義は何だろうか。20世紀以降のクラシック音楽は、時代的に見て大まかに近代音楽と現代音楽に分けられるが、近代音楽と現代音楽の境界をどこに設けるか、統一的な見解はないといわれる。一般的には第二次世界大戦をもって近代音楽との境界とし、戦後を現代音楽として取り扱うことが多いようであるが、その観点からすると、このショスタコーヴィッチは近代と現代にまたがる作曲家といえるだろう。

学生時代からロックやジャズといった音楽を聴きまくっていた俺だが、俺の父親もクラシック音楽を少々たしなんでいた。ベートーベンの交響曲などのレコードが家に何枚かあり、その中にショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」もあった。学生時代の俺はとにかくどんな音楽でも聴いてやろうという姿勢だったので、これらの身近にあったクラシックのレコードもよく聴いた。ベートーベンは良かったが、ショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」はすとんと心に収まらず、なんとなくもやもやと気がかりなままであった。もちろん当時はクラシック音楽についての知識など無いに等しかったので、この曲が偉大な作品であることすら知らなかった。音楽的教養が少なかったために消化不良だったのだろうと、今になっては、思う。しかし、なんとなく、心にひっかかってはいた。

その「交響曲第5番」を再び聴く気になったのは、書籍「ショスタコーヴィッチの証言」を読んだからである。この書籍については、どの程度ショスタコーヴィチの心情を正直に書き記しているのか、といった点で賛否両論あるようだが、少なくともショスタコーヴィッチという作曲家について、世論の注意をあらためて喚起したことだけは間違いない。

このボックスセットには、ショスタコーヴィッチの交響曲が1番から15番まで、11枚のCDに収められている。しかも値段も手ごろで、ショスタコーヴィッチの全貌を味わうにはうってつけのCDである。それにしても、これだけの作品をすべて聴き通すには、それなりに覚悟がいる。

これだけの交響曲をまとめて聴き、その上で改めて思うことは、やはり「交響曲第5番」は素晴らしい、ということだ。ロマンにあふれ、ダイナミックであり、忘れられないきらめくようなフレーズが随所に散りばめられている。熱い。聴く側にエネルギーが足りないときは、音楽に押しつぶされそうになるほどである。仕事をしながらBGMでかけようものなら、途中から音楽に引き込まれてしまい、仕事どころではなくなってしまう。

「交響曲第5番」は有名であるので、いろいろな演奏が録音されCDになっており、聴き比べることができる。いろんな評論を見聞きすると、他の演奏も聴いてみたくなるときもあるのだが、演奏の良し悪しを云々するのは好きではないので、このCDとの出会いを大切にして、いつまでも愛聴するつもりである。

演奏はWDR Sinfonieorchestre、指揮はルドルフ・バルシャイ。Brilliant Classicsから発売されたものだ。ロックやジャズから現代音楽へと俺を誘ってくれた大切なCDだ。(20070208/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Thirteen / John Cage

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ジョン・ケージは1912年にロサンゼルスで生まれた。父親は発明家で「だれかが『できない』と言ったなら、それはお前に何をすべきかを教えてくれているのだ」と言ったらしい。若いころは音楽家になろうと考えたことはなく、父の祖父はバイオリンを「悪魔の道具」と見なすような人だったという。そのような家族環境という点においても、ジョン・ケージは特異な作曲家であるといえる。

この「Thirteen」は、ジョン・ケージ晩年の作品である。ジョン・ケージは1992年に没するが、1987年頃から「One」「Two」など数字をつけた曲を作曲し始める。そしてこの「Thirteen」は、亡くなる1992年に作曲された作品である。ジョン・ケージがいかなる音楽の極みに到達したのか、という点でも極めて興味深い作品である。

さて、この「Thirteen」だが、話題にことかかないジョン・ケージの作品としては、意外に落ち着いた作品である。全体に起伏に乏しく、平坦な印象である。使われているのはフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、トランペット、トロンボーン、チューバ、2台のパーカッション、2台のバイオリン、ヴィオラ、チェロ、といった13の楽器であるが、気持ちいいほど、演奏がバラバラである。全く統一感がない。各楽器はそれぞれに好き勝手な音をきまぐれに出している。そして一体、指揮者は何をしているのだろう。13の演奏者に、何らかの指示を出しているとはとうてい思えない。

ある意味において、この曲は、ジョン・ケージの発明のひとつなのかもしれない。全く統制がとれていないように思われる楽器の演奏。その統制がとれていない、という一点で統制されており、バラバラである、ということが、ひとつの全体を形作っている。そんなふうに考えながらも、もしかしたら全く意味づけなどないのかもしれない、という疑念も湧いてくる。

晩年のジョン・ケージは笑顔を絶やさなかったそうだ。この「ケージ・スマイル」を、一柳彗は「啓示微笑」と訳したそうだ。このCDのジャケット裏には、満面の笑みをたたえたジョン・ケージの顔がある。音楽を愛し、音楽に挑み、音楽の喜びを味わい尽くした顔である。もしかしたらこの曲も、ジョン・ケージの悪戯のひとつであり、あの世で舌を出しているかも知れない。そんなことを思いながら、この曲を聴くのは、それは、また、味わい深いものだ。

俺は、ジョン・ケージが大好きだ。(20070207/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

Kontakte / Karlheinz Stockhausen

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「WERGO」(ヴェルゴ)は1962年に設立されたドイツのレーベル。現代音楽を中心にCDをリリースしているようである。新録音だけでなく、ここに紹介するような古い録音のCD化も行っているようである。これはたいへん嬉しいことである。

さて、カールハインツ・シュトックハウゼンは電子音楽で有名だが、この「コンタクテ」はシュトックハウゼンの比較的初期の作品であり、1959年と1960年に作曲されたとある。CDのクレジットには1964年という年が書かれており、これがおそらくレコード化された年なのであろう。俺は学生時代、この曲をレコードで聴いたことがある。今でもしまい込んだレコードを探せば出てくるはずだ。そのレコードには「コンタクテ」と「ルフラン」が収められていたと思う。

思い込みというものは怖いもので、俺の記憶ではこの「コンタクテ」は完全な電子音楽だと思い込んでいた。しかし実際は「電子音とピアノ、打楽器のためのコンタクテ」である。また逆に、意外に記憶というものは確かなところもあるというのは、学生時代に聴いたというものの、何度も聴いて味わう、といった音楽ではないので、正直いって何度か聴いた後はレコード棚にしまい込まれたまま、という状態で、真面目に聴いてはいなかった。しかし、このCDによって何十年かぶりにこの曲を聴いたのだが、曲の細部に「ああ、確かにこうだった」と思うフレーズが少なからずあったのだ。

つまり、やはりこれは、強烈に印象に残る音楽であることは間違いない。もちろん、このような電子音楽を音楽と認めない人もいるだろう。録音は当時のままであるようだ。CDをかけると、あきらかに磁気テープのヒスノイズであろう音がはっきりと混じっている。しかし、いま聴いても十分に刺激的である。レゾナンスを効かせた電子音がぎゅわーんとねじれる様に鳴るところは、脳をゆすられるほどの驚きがある。

このCDは1992年にWergo Music Mediaから発売された。ドイツ盤だ。しかし、デザインをした人にはいささか申し訳ないが、ジャケットのデザインだけは、いただけない。(20070206/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)

プロフィール

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Author:yoc
1998年から「カルト・ミュージック・コレクション」というWebサイトを始めた。これを2006年12月からblogの形で再開することにした。音楽を心から愛する者のために、俺は書く!

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